派遣社員から条件の良い正社員へ
「リーマンショックて何? なんか大変そう」
そんな感じで3年ほど続けていた短期勤務の派遣社員をやめて、正社員で働こうとwebで求人情報とにらめっこをしていました。
悩みながら、少しずつ面接に申し込む会社を絞っていきました。
その中にある会社で目を引く情報がありました。
「基本給は事務のわりに高い、子供を育てながら活躍している女性がいます、土曜日は月一回のお休み以外は出勤、お休みは少ないけど土曜日は早く帰れます」とありました。
わお。ここにする。
少々ハードだけど仕事の緩急がきちんとありそうだし、土曜日の出勤も早く帰れるなら問題ないかな?と、判断し面接を申し込みました。
面接当日、何度も道案内をしてもらうも散々迷った挙句、30分も面接の時間に遅刻をしてしまったにもかかわらず、きちんと面接をしていただきました。
休憩室に通され、いよいよ面接です。
大遅刻だったので採用にならないだろうと思っていたので、面接は全く緊張することなくいつもの私で挑むことができました。
暫く待っていると、おそらく私の上司になるであろう女性Kが入ってきました。
その女性(以下K)は端切れの良い口調で、はきはきと話をする、いかにも「デキル女」という印象でした。
ただ、面接をしている間中休憩室にある茶箪笥のガラスに映った自分を見ながら髪をかき上げたりしているのが「自意識過剰」「自信満々」「自分大好き」な印象を受け、ちょっと気になりました。
おそらく私が苦手なタイプなのでしょうが、話した感じは馬が合いそうでした。
後日、採用はないだろうと思っていたところ採用の連絡があり、私はその会社で働き始めることになりました。
社長夫人が上司!無茶な仕事の割り振りに入社4ヶ月で辞めたくなる
会社にはそれぞれのやり方、独特なシステムがあるものですが、その会社は比較的アナログな作業が多く、細かい仕事も多かったです。
はじめは、社長の奥様である上司Kから仕事の内容を丁寧に教えてもらいました。一つ一つの仕事は左程大変ではないのですが、量が多かったのでこなすのはだいぶ大変でした。
仕事はとにかくスピードと正確さが求められ、一日中レベルの高い集中力をキープして挑まなくてはならず、中々ハードでした。
ミスをするものなら超音波のようなキンキン声でKに叱られ、心も体もどっと疲れてしまいます。
基本的な仕事のマニュアルがないので、一つ一つ先輩につきっきりで教えてもらいながらメモを取り、忙しく立ち働く先輩たちの仕事を中断させて質問等をしなければいけなかったので、作業効率も上がらない上に気づかいで精神的にもだいぶ疲れます。
夕方になり疲れが出始めたころが一日の忙しさのピークで、帰る頃にはヘロヘロでした。通常の事務のお仕事で、あの基本給なわけもないよな、と早くも納得をせざるを得ませんでした。
やっと教えてもらった仕事を覚え始めた入社して二か月ほど経った頃、さてここから応用と復讐をしようと思ったのですが、息をつく暇を与えないスピードで退職する人の引き継ぎ業務が入ってきました。
とにかく可能な限り、一人に対して猛スピードで仕事を詰め込んできます。
なれない作業の中「仕事のスピードをもっと上げろ」「100パーセント完璧にして」とKに尻を叩かれ、自分のペースで仕事は全くできず、こなすことに精いっぱいで自分でメモをしたマニュアルの整理をしたり、効率の良いやり方を考える余力など全くありませんでした。
仕事を必死で覚えている期間にトラブルが有り、先輩たちがKに叱られることが幾度かありました。集中していた私の耳にさえ激しく突き刺さるほどキンキンとした声で、行き場がなくなった大きな声は狭い事務所で乱反射ししていました。
悪気はないのでしょうがその声色と音量は、ミスを責め社員を精神的に追い詰めるだけで何の解決にもなっていない気がしました。
仕事で疲れている状態であの声を浴びるのは、大分つらかったことを覚えています。
それでも比較的定時に帰れることも多く、土曜日も午前早く帰れる日もあることで、その疲れをリセットすることができていました。
退職が決まっている先輩から「募集に子供を育てながら活躍している女性がいますって言うのあったでしょ? あれね、Kの事なのよ」と教えてくれました。
「え? 社員ていうか、あなたは経営者という立場なんじゃないの?」という疑問が、私に猜疑心を呼び込みます。
入社して4か月目、早くも辞めたいという気持ちがむくむくと頭を持ち上げてきました。
増え続ける仕事に休日出勤!退職日も伸ばされ身も心もボロボロ
「まだ入ったばかり。もう少し頑張ってみよう」と思う元気はありましたが、去っていった先輩の「早めに見切りをつけて、やめた方がいいよ」という言葉は私の心から消えることはありませんでした。
入社をして1年が立とうとしているころから仕事の量がさらに増えて定時で帰れることも減り、土曜日も早く帰れる日は徐々に減っていきました。
事務所の人員を募集し、新たに2~3人社員が増えましたが仕事はますます細かくなり、そして量的に多くなっていきました。
そこからはぐんぐんと仕事に対するレベル要求も上がっていき、私が勤務して7年が経つ頃にはほぼ毎日残業、土曜日も残業、仕事が終わらなければ日曜祝日も出勤、という状況になっていきました。
朝から晩まで機械のように仕事をこなし続けたせいか、私は全く疲れが取れなくなり思考回路もショートし始めていました。
年を取るごとに仕事がハードになるとは本当に辛いもので、いよいよ気力、体力の限界になってきました。
Kはとにかく社員の尻を叩いて、有無を言わさず仕事をぎゅうぎゅうと詰め込めばどうにかなるだろうと思っていたようでした。
好きな時間に来て、義務教育を終えた子どもやママ友とプライベート電話でぺちゃくちゃしゃべったり、好きな時にちゃらちゃらと定時に帰り、たまにヘルプに入れば仕事をひっかきまわして、人の仕事のリズムを崩して散々しっちゃかめっちゃかにしておいて、自分の持ち分が終わるとさっさと帰ってしまう訳です。
おかげで、ただでさえ効率が悪くなっていたにもかかわらず、遣り掛けだった仕事をまた初めからやり直すなど、ますます仕事の効率が悪くなり終わらなくなっていきました。
良かれと思ってKがヘルプする→みんなそれぞれの仕事が中断→やり直す=効率が下がる→残業→疲れる→良かれと思って・・・の無限ループで、みんなどんどん疲れと不満がたまっていき仕事がさばききれなくなっていきます。
そうするとKは「日曜祝日も出て、終わらせろ」というではありませんか。
今どきのどこのブラック企業だよ、と思いました。
ただでさえヘロヘロなのに、休みも出勤しろとかいつ休めっていうんだよ!と心の中で、元気に叫んでいました。
こんな状況で辞めたい気持ちがパンパンに膨れ上がったところで、とある事情と重なり、いよいよやめる決心がついたときに「忙しいときにすみませんが、来月早々にもやめたい」と申し出ましたが、ひと月経っても退職の手続きの話は全くありません。
確認してみるとシレッとした顔で「半年後の予定でいたんだけど」などという始末で、私が渋っていると今度は人情論を持ち出してきて無理矢理納得させられてしまいました。
薄っぺらい人情論は結局Kの自由がなくなってしまうことに焦った結果であって、社員の事を考えて出た言葉ではないとわかっていましたので更にやる気もKに対しての経緯や忠誠心も薄れました。
自ら社員と名乗るKの減らない有給休暇マジックや自分ルールの好き勝手ぶりなどにどんどん拍車がかかって、他の社員も表情や態度から不満を抱いていることは明らかでした。
そりゃそうですよね、「私は社員よ」なんていいながらやっていることはすっかり社長夫人なわけですから。
そんなこんなで魂を吸い取られながらどうにか退職の日を無事に迎えることができました。
面接のときに感じたあれは、なんか当たっていたみたい。自分の直感は信じた方が良いと実感しましたし、後は我慢しすぎるのも自分のためになりませんね。