仕事だけの毎日に心身ともに限界!退職という選択肢を忘れてはいけない

会社辞めたいと思った体験談

吸収合併で就職活動の時に不採用だった会社に入ることに

楽しく、そして先輩方からいろいろな技術を学びしばらくは設計を続けられると思っていました。

ある日突然に赤字に転落したという話があり、リストラの嵐です。

親会社は、私が就職活動時にエントリーシートを出し、そのまま放置されました。

そこでこの会社とは縁が無かったと思った訳です。

しかし親会社からの急な転籍のお話がありました。

私は面接すら受けていない会社に入って良いのだろうか?

私を含めた人で落ちた人には申し訳ないという気持ちがあり、辞めようとしました。

しかし、上司が止めるのです。

親会社へ行ってから辞めなさいと。

私の辞表は次々破棄されておりました。

ちょうど、中国生産が多いので中国に合わせないといけないため、旧正月前に出張しました。

出張先で、私に対し辞めるか辞めないかを記載する用紙を提出したか?と聞かれました。

仕事は運よく終わったので急いで戻ったのです。

残念ながら2分遅いと言われ受理してくれませんでした。

仕方なく、私は親会社の面接を受け、吸収合併時に転籍となりました。

私の過去の就職活動での不合格と、当時の会社で実力をつけたからという意味なのかもしれませんが合格という判断に、どうも合点が行かなく葛藤する日々が続きました。

毎日100件を超えるメールが飛び交う職場

転籍後は、ある意味やりやすかったのです。

読書のような大量のメールが飛び交う部署でした。

ペーパーレスを推進していたのもあり私の1日は大きく変わりました。

転籍前に上司から、無機質なやり方についていけるか心配だと言った方が1人だけいらっしゃいました。

その方は年賀状も版画など心のこもったものをいただき、私はこういうビジネスマンになろうと思って、私も同じように手書きだったり版画だったりしました。

相手も悪い気はしないだろうと勝手な想像でした。

仕事を進めていく上で、メールが段々と多くなりました。

1日に100件を軽く超える量です。

本やメールなどは、読み手の問題と言われればそうなのだろうと思います。

どうとらえても怒っていたり、無視していいよというような内容もありました。

このメールのやり取りは厄介で、上司にも連絡が行くシステムだったのです。上司に連絡が行くのは私にとって問題は無いのですが、揚げ足取り、レッテル張り、嘘のメールが多く、しかも子会社までメールが行くため払拭するための時間が必要だったのです。

こういうことが起こりうることは想定しておりましたが、最初はそうですが火の粉が自分に飛んでくるなんて思いませんでした。

私は、私が思う技術力が高いと評価をしていた人に嵌められ、とんでもない失態をしてしまいました。

あちらこちらから、全員配信メールの嵐です。

もう見飽きたというくらいの量でした。

当然ではありますが、正しいことを連絡し解決したのですが、精神的にやられてしまいました。

あまりの裏切りや嘘に対し憤りを感じておりましたが、このままでは私は怒りっぽい人になると思い、次の日休んでのんびりとし忘れようとしたのです。

モチベーションを下げる上司の一言!ついに心身ともに限界に

会社の組織上当たり前なのですが、私のような人間は会社の利益貢献をしないといけません。

本音は給料がほしいからなんですけどもね。

利益貢献をしなければ給料は減ります。

仮に売り上げが例年通りで従業員を2倍に増やせば、従業員の給料は0.5倍になるわけです。

ごくごく当たり前のことです。

当たり前のことを怒るように言われるというのは、精神衛生上良くないと思います。

私の上司は、こう言いました。

「僕の給料が減るから、みんな頑張りたまえ」と。

よくよく考えれば当たり前。

しかし、みんな手が離せる状態でなく、残業や休日出勤も2/3はしていました。

設計だけでなく他の部署も日程に合わせようと努力をしています。

そこでこの言葉ですか?と思ってしまい、モチベーションが一気に下がりました。

そこから同じ部門ではありますが、部署が変わったのです。

ラッキーと思っていたら上司がくっついてきました。

さらにモチベーションが下がりました。

会社規定で2年仕事すれば違う部門(子会社)へ行けましたので、提出して二度と会わないようにしたのです。

しかし、私の体は既に限界で、ある日突然動かなくなりました。

この仕事しかない!という思い込みが自分を追い詰めていた

当時の私はこの会社で仕事しかないと思っておりました。

体を壊し休職という形を取りましたが、今まで働きづくめだったので何をしたらいいのかさっぱり分からなくなっていました。

本当に私は誰?という状態でした。

趣味?おいしいのそれ。

というような状態で寝込む毎日でした。

それでも不思議なもので、職場復帰しないといけないというように考えていました。

違う上司から手紙が来ました。

「ゆっくり休め。遊べるのは今だ」という短い文章でした。

私が求めていたのは、愛情のある手書きの文章だったのでしょう。

他にも前にいた会社の上司から「俺は無機質な会社が嫌だった。お前も俺に似ているからそうだろ?」これまた短文です。

こんな短文を切手まで買って送ってくれる人がいるんだと感動したのです。

私は1か月くらい考えていました。

何がいけないのか?何でこうなったのか?

これはあんまり意味は無かったのですが、あるひらめきがありました。

追い込まれると選択肢が減るのではないかと思ったのです。

実際に心療内科や精神科の先生とアポをとって聞いてみた結果、私が思った通りでした。

常に選択肢は維持しなければなりません。

選択肢を減らさない方法は、常に辞めるという覚悟があるということです。

これが一番簡単な方法だと思います。

退職という選択肢は自分を守るために確保しておこう

私が退職したという話が社内でまわっていたようです。

先見の明があるとなぜか言われていた私だったので、次々と後輩や素晴らしい技術をもった方々は辞めていきました。

分社化してなんとかしのいでいますが、いつ倒産しても分からない状態になっております。

先見の明があれば、私は体調を壊していないですよ。

と思いながら日々過ごしています。

このような体験をされる方は少ないのかもしれませんが、参考になっていただければと思います。

常に選択肢は維持することが大事です。

危ないと思う前に辞めることです。

それがご自身を守る一番いい方法だと思っております。

辞めたいという気持ちがあれば、辞めた方が良いというのが私の体験で思ったことです。

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