労災が日常茶飯事!働いている工場を退職するために転職活動を開始
今思い返せば、バイトや正社員など、、10代から20代半ばまでは転々としていたと思います。
中でも話のネタになる転職経験を一つ書いていきます。
僕が20代を迎えてすぐ、働いていたカラオケ店が潰れてしまい、露頭に迷っていた頃の話です。
カラオケ店が潰れてから、知り合いのツテで県外の工場で勤務していました。
そこは乗用車から輸送船などの様々なピストンを加工する工場でした。
本社が外国にある、かなり大きい工場でしたが、労災は日常茶飯事、僕がいた頃は死者も出たこともあったり、中々に泥くさい環境がどうしても馴染めず、さらなる転職を考えていました。
面接の時からかなり怪しかったHP作成代行会社に就職してしまった
ふと、10代の頃から趣味で使用していた画像加工ソフト「Photoshop」などの技術を用いてなにかお金にできないかと思っていました。
自分の趣味を仕事にすることほど幸せなことはない。
そう思い立った日からすぐさま工場を退職し、求人誌などを片っ端から読み、ハローワークにも行きましたが中々めぼしい求人はヒットせず。
そんなある日、職探しのために、その頃住んでいた地域に限った会社などを調べつつネットサーフィンをしていたら、とある代行屋さんのHPに「デザイナー募集!」の記事が。
代行でデザイナー?と、少し怪しく思いましたが、この会社のサイトにはこうありました。
「車も代行、HP作成も代行!」と。
社長が手広くやっているんだなぁと、その時の僕は納得し、取り合えずネットから応募してみることに。
するとすぐに携帯に着信が。
恐る恐る出てみると、ものすごくしゃがれた声で「○○代行ですゥ」という声が。
続けて、「求人の応募っていうことで、早速明日面接に来てもらえますか」
僕は勢いに任せて、事務所に行く約束をしてしまいました。
ドキドキしながらもすぐに朝は訪れ、約束の時間より15分前に、先の電話で口頭にて告げられた場所へと向かうと、そこには…明らかに潰れたであろう小さいスーパー銭湯のビルの駐車場に、応募した代行会社のロゴがベタベタと貼ってある軽自動車がズラリと並んでいました。
「ここだよな…」
この時点で不安が最高潮に募っています。
今逃げるべきか、しかし工場はもう辞めている自分、職探しに疲れてきている自分、貯金なんてしてこなかった自分を恨んだり、勇気づけてみたり、微妙な広さの駐車場でウズウズすること5分。
事務所の中から一人、人が出てきてしまいました。終了です。
鬼のような顔からぎこちない笑みに変える僕。
駐車場の真ん中でウズウズしてるものだから、相当怪しい人に見えたでしょう。
40代くらいの男性が低い声で「なにしてんの?」と一言。
「今日面接予定の…」と伝えると、「ああ…」と一言、手招きで事務所の中へと誘い込みます。
玄関はまさにスーパー銭湯の名残が残るコインロッカーなどが並んでいました。
ドアが2つあり、一つは代行の事務所、一つはデザイン事務所として使用していたようです。
風変わりなのは、玄関の横に堂々と構える錦鯉…こんなの映画の中のヤクザの組長の庭でしか見たことありませんでした。
迎えてくれた男性がドアをノックし、「面接の人が来ています」と伝えると、「はあい゛、どうぞー」と、あの時電話で聞いたしゃがれた声が…!
その後、「君はこっちだから」と、男性は代行の事務所の扉を開けてしずかにその場を後にしました。
床にスリッパが散らばっていたのですが、どれも模様が違っており、果たして来客用のために用意されているのかもわからないので、なにも履かずにおずおずと扉を開けると…。
真っ先に目に入ったのは、部屋の天井にあるカメラ。
そして3台並んだパソコン。
そのパソコンの影から、これまた40代の男性が顔を覗かせ、「こっち」と一言。
なぜこの人はこんなに声がしゃがれているのか…。
昔叫びすぎたのか…借金の取り立てでもしていたのか…と完全負の思考のまま歩み寄る僕。
座ることを促されると、「これ、作って」と、A4サイズのファイルを手渡されました。
今までの面接現場とはなにもかも違う状況に狼狽えながらも、渡されたファイルの中身を見ると、なにやら飲み屋チックなお姉さんの写真や、あきらかにキャバクラチックな店内の写真と、店の看板であろう写真が印刷された用紙が入っていました。
しばらく困惑していると、しゃがれた男性が一言「これみて、キャバクラのHP、作ってみて。それで給料決めるから。」
ああ…やっぱりそういうところだったのね…何もしていないのに挫折しそうになりました。
しかし、僕はまだ諦めませんでした。
勤務時間や、休みはあるのか、そういうことをまったく聞かずに逃げるわけにはいかない。
もしかしたらブイシネマの見過ぎでこじれてしまった人が社長になっただけのことかもしれない!
僕は、ただただ目の前の業務に取り掛かることにしました…。
デザインの仕事はあるものの、無茶なスケジュールばかりのブラック会社
結論を言うと、そこは完全ブラックでした。
社長はヤクザの組長、ではなく幹部でした。
たしかに手広くもやっていましたが、風俗関係を網羅していました。
僕はその専属デザイナーとしてモクモクとデザインを生み出していっていた…なんてうまい(うまくもない)話が当然あるはずもなく。
僕のその当時の勤務内容をまとめると、朝に9:00出社し、社長の営業電話×2の電源をON。
営業電話をこなしつつ、任されたデザインをたんたんとこなし、あっという間に夕方に。
19時ころには代行が慌ただしく動き始めるのですが、この時間帯になると代行の事務所から誰かしらやってきて、「わりい!頼む!」と一声。
僕はデザイナーから代行の走り屋へと変わるのです。
そうして2~3時間ほどあちこち走らされるのですが、料金なんて発生しません。
理由は「固定給だから」だそうです。
こうして代行のおつかいがあると、デザインの仕事に遅れが出ます。
基本デザイン業務の期日はどんな案件も「翌日」なので帰る時間なんてありゃしないのです。
その日の業務が終わるのが深夜1時過ぎ、ひどい時は朝5時。
こんな生活をなぜか「三年」もつづけました。
きっと全てを諦めていたのでしょう。
そんな三年目の秋に、僕はとうとうこのブラックすぎてダークマターの権化みたいな会社を辞める決意をするのでした。
ブラックすぎる会社からいつまでも逃げられず借金を増やすのみ
三年もいれば待遇が変わるかというと、そんなこともありませんでした。
確かに、陽気なサイトに釣られて僕のように騙される人はたくさんいましたが、2~3日で雲隠れ、そんな中で何年も居座っていたのですから、突発的に「今日休み」とメールが来たり、社長のお使いで一日が終わり業務はナシ、なんてのもありましたが、よくよく考えればまったく普通ではありませんでしたね。
明くる日、社長がとんでもない相談をしてきます。
「30万貸せ」。
今思えば、経営者が部下に金を貸せという時点で辞めればよかったのです。
僕はこの業務に関わる様々な人に、社長に金を貸せと言われている、と相談をしました。
不思議なことに、皆口をそろえて「貸したほうがいい」というのです。
理由は「金を貸したら弱くなる。仕事がしやすくなるぞ」と言うものから「俺も何回も貸したけど、絶対返ってきた。媚は売っとけ」など。
僕はもうまともな判断などできないので、ただただ休みが欲しいという思いから、お金を貸すことに。
しかし、僕のクレジット枠は10万しかありませんでした。
半ばホッとしながらもそのことを社長に伝えると、「新しい枠作ってこい」
そうなりますよね。いつだって浅はかなのは僕の方なのです。
言うとおりに、残りのカード二枚で10万ずつのキャッシング枠を作り、耳をそろえて30万、貸しました。
その後の業務は確かに休みが増えたり、業務時間が減ったりなど、昔よりも「人間らしい」生活ができる機会が増えました。
が、いっこうにお金が帰ってくる気配がない…!
しかし自分から聞くのがコワイ…。
やがて、給料が支払われなくなりました。
この時点でもう手遅れだったのでしょう。
僕が貸したお金もキャッシングですから、毎月の返済があります。
しかし払うお金がない。
今度は僕が本当に困った時、借りれるお金がレイクやプロミスなどの金融機関しか無くなっていました。
そして、最初は20万ほど借りることになり、次は5万だけ…やっぱり足りずにもう5万…と、気がつけば僕の借金が100万を上回っていました。
会社の状況は未だ給料未払いが続き、僕はとうとう社長に直訴するのでした。
しかし言われた言葉はこう「金貸したお前が悪い。」
更に「この俺に借用書でも書かせたか?貸し借りの会話を録音でもしていたか?警察にでも駆け込んでみろ。なんともならないから(笑)」と鼻で笑われる始末。
退職の手続きも踏まず実家に逃亡!働いてできたのは借金のみ!
その翌日から、荷物をまとめ、関連のある人間すべてを着信拒否。
なにも告げずに実家に帰りました。文字通りの敗北です。
それからというものの、知らない番号から電話きたりすることがふえました。
これは未だに続いています。
一年も経たず、友人から「お前の社長が捕まった。警察に相談してみたら?」なんて話をされたので、試しに警察に相談してみた所、在りし日の社長と同じことを言われ、泣き寝入りするしかありませんでした。
その借金は、父親の経営しているパブに転がり込み、仕事をしながら未だに払い続けています。
ちなみにそろそろ潰れる予定。
つぎの就職が怖くて仕方ありません。
そういえば給料の話をしていませんでしたね。
その当時の僕の給料は手取り14万でした。
貴重な20代を、ほんの僅かな失敗でダメにした男の転職体験談でした。
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