アパレルの仕事から働きながら勉強して未経験の営業補佐に転職

みんなの転職体験談

大学卒業後にアパレルメーカーで接客業に就職

私が大学卒業後に入ったのは、あるアパレルメーカーでした。

入社の際の希望は内勤でしたが、インポートブランドと自社製品を扱うセレクトショップでの販売に配属されました。

人と接するのはどちらかというと苦手で、最初の1年間は慣れないことばかりで本当に辛かったです。

そして、販売といえば個人成績が出ます。

私は立場が一番下でしたのでまだ気は楽でしたが、先輩たちは売り上げ目標にいかないと店長からチクチク言われていました。

売り上げのプレッシャーはかなり大きかったですが、「とりあえずは3年働く」と決めて続けました。

もちろん嫌なことばかりではなく、売れた時の喜びなどを感じていくうちにやりがいも感じられるようになりました。

服は好きだったので、色々なブランドの商品に触れられるのも楽しみでした。

そして実家が商売をしていたので、「モノを売る」ということ自体は好きでした。

体力勝負の立ち仕事な上に不規則な生活になる接客業

販売という仕事は立ち仕事ですから、結構な体力を要します。

ヒールで一日8時間以上たちっぱなしというのは、想像以上に過酷でした。

それでもだんだん慣れていきましたが、1日終わると足が痛くてしょうがなかったです。

販売は「3日出勤したら1日休み」というようなシフト制の勤務形態ですが、一見楽なようで実はそうでもありません。

出勤時間が日によって違うので、生活サイクルが不規則になってしまうからです。

「早番」「中番」「遅番」と勤務時間がわかれていて、「遅番」で夜10時過ぎに帰宅後、次の日が「早番」で8時には出勤、というかんじです。

そして次の日はまた「遅番」など、次第に食事の時間や就寝時間がバラバラになっていきます。

そしてセール時期になると10連勤以上などはザラで、帰る頃には本当にクタクタになっていました。

そのせいか、2年目から体調を崩すようになり、年に3回ほど扁桃炎などで休んでしまいました。

体調管理が出来てないせいだと思い自分を責め、職場に申し訳なく、情けない思いを感じていました。

しかしこの頃は本当にいつも疲労感を感じていました。

もしかしたら精神的なストレスも大きかったのかもしれません。

勤務3年目に業績悪化でボーナスがカットされてしまった

月額のお給料は元々そこまで高くありませんでしたが、入社3年目の年、ついにボーナスがカットされました。

実は店舗全体の実績で賞与額は決まっていて、その年の実績が悪かったために私以下の社員の賞与が出なかったのです。

今思えばなかなか珍しいと思いますが、賞与は賞与月の朝礼後に社長から菓子折りと一緒に手渡しで受け取るというシステムになっていました。

私の番になった時に、お菓子の箱はありましたが・・・、封筒がありませんでした。

その日はふがいない気持ちで眠れませんでした。

同期から聞いた社長の言動に幻滅して退職を考えるように

たまに、同期の内勤の同僚と仕事後に飲みにいったりすることがありました。

そこで同僚から聞いた話に驚愕しました。

その同僚は社長(女性)がデザインを担当するブランドのパタンナーをしている人でした。服を商品化するまでに、まず「サンプル」という状態のものを作ります。

そのサンプルで展示会を行い、受注数などを元に生産します。

その同僚の話では、あるサンプルを社長が何回か着用したあとに「もう要らないから店頭で売って」と言ったそうです。

しかもその服には社長が使っていた香水やファンデーションがべったり付いていたそうで、その同僚もかなり困惑したようです。

実際に服を販売している側としては、本当に衝撃的な話でした。

他にも社長の話は色々と聞きましたが、自分のモチベーションが下がるばかりで、会社への不信感も募るばかりでした。

この頃から自分の中で「近いうちに辞めよう」という気持ちが強くなってゆきました。

店舗独自のチラシの作成を担当し、自分がやりたい仕事に気付いた

入社4年目を迎えた頃、店舗ごとにニュースペーパーを作ろうという企画が持ち上がりました。

商品の新作や人気商品などをお客様に知ってもらうチラシのようなものです。

会社にはちゃんとした広報や販促に関わる部署がなかったので、各店舗が直接行うことがほとんどでした。

そこでその企画を私が担当することになりました。

実際に取り掛かってみると思いのほか楽しくて、わくわくしました。

そして、実際にそのニュースペーパーを見たお客様がご来店してくれた時に思ったのです。

「私のやりたかったことって、これだ」と。

商品を直接販売することよりも、何かの媒体を通して販売することに興味を持ち始めました。

そしてこのことがきっかけで「転職しよう」という意思が固まったのです。

働きながら社会人向けのスクールに通い転職に必要な知識を勉強!

それから私は仕事後に社会人向けのスクールに通い始めました。

「ここで働きたい」とまではいかなくとも、漠然と「ネットショップに関わる仕事がしたい」と思っていたので、その分野が勉強できるスクールに通いました。

そしてそのスクールのカリキュラムが終了後、退職届けを提出しました。

就職先が決まってから辞めようかな、と最初は考えていました。

しかし在職中にもし決まってしまった場合、その就職先や現職場に入退職の時期を段取りして貰うことに気が引けるのでやめました。

退職後はアルバイトをしながら希望の仕事を探す日々

仕事を辞めてから働きたい会社を探しました。

ネットショップの仕事は未経験だったせいか、やはり不採用が続きました。

そこで充電のためにも暫くアルバイトをして過ごすことにしました。

その間に「本当に働きたい会社」をゆっくり考えたかったというのもあります。

ネットショップといってもたくさんありますから、どんなものを販売しているかでやはり会社の雰囲気や仕事内容もそれぞれ違います。

服は好きでしたが、またアパレル系の会社に入りたいかと言えば、「ノー」でした。

やってみたいと思ったネットショップの会社に応募を決める

いつものように転職サイトで求人を探していました。

そこでふと目に留まったのは敏感肌用の化粧品を販売している会社でした。

ネット販売が主で、百貨店などでも直接販売している会社でした。

実は私は小さい頃からアレルギーなどで肌が弱く、苦労していた経験があります。

「あ、これだ」と思いました。

すぐにその会社や商品を調べ、販売されている店舗へ直接出向いてリサーチしました。

そしてその求人に応募しました。

書類選考を通過したのち、最終面接へと進みました。

そこでは自身も肌が弱くて苦労した経験や、ネットショップも「モノを売る」という点では前職と同じでしたので、その経験をアピールしました。

新しい職場で働き始めて心から転職して良かったと思った

面接から2週間ぐらいして採用の通知を頂きました。

新しい職場は社員数の少ない会社でしたが、その分すぐに環境に打ち解けることが出来ました。

仕事内容も私のやりたかったもので、「転職してよかった」と心から思いました。

入社当初は営業補佐でしたが、前職で人と接することを経験したおかげで抵抗なく取り組むことが出来ました。

その後はネットショップの管理やデザインなどに関わり、すごくやりがいを感じながら仕事をすることが出来ました。

何より、転職後は「仕事が楽しい」と思える瞬間がたくさんありました。

思い返せば、前職はいつもどこかプレッシャーを感じていて、仕事を楽しむ余裕がなかったと思います。

しかしその仕事の中でも転職後に生かされたことはたくさんあり、どんな仕事でもやはりよい経験になるな、と感じる日々です。

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