毎朝6時に出社が基本だが、鍵がないので会社の前で待つしかない
「こんな生活、いつまで続くんだろう」
気がつくと、パンフレットのぎっしり詰まった営業カバンを抱えながら、川を前に立ち尽くしていました。
毎朝6:00に出勤して、会社の前でうずくまり(下っ端は鍵を持っていません。じゃあ、何でいるのかって?それが「忠誠心」との事で、下っ端同士で互いを監視・密告していました)、コンビニで買った弁当を掻き込んで先輩を待ち、7:00になると入室が許可され、荷物の整理もそこそこに、オフィスの掃除。
上司や先輩の机はもちろん、灰皿や電話まで磨き上げて上司のお出ましを待ち構える。
その間、上司の話題づくりに欠かせない、新聞のスクラップ作業。
この記事のチョイスが彼らの好みに合うか否かでご機嫌が大きく変わるので、気が抜けない作業です。
そんなこんなで全員が出社したら、8:30に朝礼。
みんなで馬鹿声張り上げて社訓を唱和した後に、新規契約をとった者やノルマ達成者に対する表彰式が実施され、続いてノルマ未達者やペナルティ者(たいてい営業成績のごまかし)が引き出されて反省の弁を述べさせられる事になりますが、私はたいていこの未達者として、晒し者にされていました。
これの何が一番嫌かって、自分が「いかにダメなヤツでみんなの足を引っ張り、会社のお荷物で社会のクズであり、悔しい思いをしているか」を感情たっぷりに演技させられる事です。
そして朝礼の締め括りは支店長による有り難いお話。
たいていは昨日観たテレビ番組の感想を無理矢理ビジネスに絡ませたものか、あるいはニュースや時事ネタ。
また、たまに流行り言葉を持ち出して即席スローガンを定める事もありました。
(※例:PPAP⇒パワー、ポジティブ、アクション、パートナー……何だそりゃ)
帰宅は毎日2時!4時間後には出社するという状況が週6日続き体力も限界
そうこうして朝礼が終わると、今度は部署ごとのミーティング。
我らが営業班ではチーフと称するボスが、これまたやはり取って付けたような訓示とお説教(ほとんど部下に対する八つ当たり)、一日の行動計画(どの地域を回る、誰と会う等)と目標(アポイント何件、名刺交換何件、面談何件、成約何件など)を提出。これが大抵未達となり、翌日晒し者にされるのですが、それはまた明日の話。
さて、9:00~9:30頃にようやく解放、もとい営業に出るのですが、私は飛び込みを得意としていたため、あまり電話はやりませんでした。
というより、顔の見えない相手と長く話し込むのは苦手なため、電話営業の結果は散々なものでした。
外回り中は二時間に一度会社へ連絡を入れ、チーフのお小言もといアドバイスや激励を賜ります。
出先にもよりますが、一日集中して回ればアポイント5件、名刺交換10件、面談5件程度の結果が出ますが、それ以上の目標を実質的に強要されるため、やはり未達者として晒されるのでした。
ともあれ、20:00~21: 30に帰社、チーフが戻り次第、一日の反省会としてミーティングが行われます。
ここでもチーフの有り難いお話があり、メンバーそれぞれが一日の頑張りと創意工夫、そして反省点を述べます。
最後にチーフの指名による「喝」が特定の(大抵はチーフの気に入らない)メンバーに入れられ、これで解散となるかと思いきや、チーフが22:00に退社しても、私たちは残されます。
先輩による「自主トレ(大声訓練、笑顔訓練、自己総括など、その内容はお察し下さい)」という名の憂さ晴らしが終わった頃には、もう日付が変わっています。
よく飽きないものです。
そして帰宅、就寝するのが午前2:00。
あと4時間後には出勤です。
……そんな生活が週に6日、かれこれ一年続いていました。
最初は「石の上にも三年、このくらいで辞めたらダメだ!」と思っていましたが、流石に体力的な限界と、他の職場の情報を知るにつれ「こんなの、全然当たり前じゃないし、耐える価値もないんだ」と解った途端、全てが馬鹿馬鹿しくなってしまいました。
退職届を提出したが目の前で破り捨てられ、しつこい説得が始まった
さて、辞めようと思い立ちましたが、まともに退職を申し出ても「誠心誠意の話し合い(16時間)」の結果、説得されてしまう人が多いので、逃げようかとも思ったのですが、そういう後ろめたい事をしてしまうと、何か嫌なので、とりあえず家族や知人友人に相談した上で、退職届を提出しました。
……が、チーフはそれを目の前で破き捨て、「すべて解っているんだ。お前は辞める事なんてない。わが社に必要な人材なんだ」と、訳の分からない事を口走りました。
「いっときの気の迷いで仕事を投げ出したら、お前は一生後悔するぞ」
「……しません。私は辞めます」
そう断言した直後にチーフが見せた、メラメラと燃え上がるような憤怒の形相は、一生忘れる事はないでしょう。
退職の意志を伝えたら社内に軟禁!開放されたのは37時間後だった
さて、ここから私の社内監禁生活が始まりました。
と言っても、何の事はない。
私が退職の意思を撤回するまで、社内の一室(電波なし、時計も照明もなし)に閉じ込めるだけです。
時折、上司や先輩がやって来て「エサ」をちらつかせながら「目が覚めたか(退職を撤回するか)」と訊きに来るだけ。
私が許否すると、また出て行ってしまいます。
要は根比べですが、結局私が勝ち、退職が認められました。
チーフはしきりに「負け犬め」と吐き捨てていましたが、こんな勝負なら喜んで負けてやるわい(苦笑)
結局、37時間が経過していました。
解放された時は真夜中でしたが、私はふらつきながら喝采を上げたくなりました。
そして真っ先に公園に行き、水道の水を飲んだ時の美味いこと。
全身に希望と力がみなぎるようでした。
かくして今は違う仕事をしていますが、あの生活を思い出す度、大抵の苦労は乗り越えられるようになりました。
ええ、お陰さまで。
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