勤めていた鍼灸院では酷いドクターハラスメントが行われていた
私は鍼灸院で助手として働いていました。
夫婦で経営されている鍼灸院で、助手は私ともう一人パートの方が働いていました。
その鍼灸院は県内では名医として有名であり、県内外から治療を受けに来られていました。
名医であることは私も認めていたのですが、先生はいわゆるドクターハラスメント的な人で、しかも患者によって態度を変えるという横暴な態度が私は入社した当初から気に入りませんでした。
気が弱い人なんだということは分かっており、スタッフには何も言えないのですが、治療代が一回三千円とやや高額であるため、治療にあまりこれないような貧困層にはとにかく冷たく、毎日治療にやって来るような人や差し入れなどをくれる人にはとても優しいといった、嫌らしい性格をしていて私がもっとも嫌うタイプでした。
時には患者さんを泣かせてしまう時もあり、よく訴えられないなと思っていたほどです。
治療に対する意欲がない、治す気がないなら来る必要ない。
お金がないのは言い訳に過ぎない、借金してでも治療に来る意思がないということは、身体は大切じゃないんだね。
などと平気でいう人で、聞いている私も気分が悪くなるときが多々ありました。
ドクターハラスメント的な場面に出くわす度に、私はこんなところで働いていてよいのだろうかという疑問が湧いて来たのです。
毎日無意味な残業で帰らせてもらえない上に残業代は固定されていた
貧困層にはとても厳しい上司ですが、雇用しているスタッフには直接何も言えないというところがあったのですが、何も言わないから害がないというわけでもなく、毎日無意味な残業をさせられていました。
忙しくて残業をさせられるなら分かるのですが、特別視していた人が時間外に来ることも容認していて、17時30分には終わるはずなのに、18時にしか来れないという人には待ってあげるというのが上司のやり方でした。
しかも、鍼灸の治療は一時間はかかりますので、私は毎日特別待遇の患者のために二時間は意味のない残業を強いられていました。
しかも、残業代というのは月に6000円と固定されていて、6000円を支払っていると私を好きなように使っていいという考えでいるみたいでした。
週に二度は午前中だけの治療をしていたのですが、とにかく名医であるため、毎日多くの患者がやって来ます。
午前中だけで終わるわけもなく、更には儲け主義の先生ですから、12時で受付が終了するはずなのに、患者が多くて15時くらいまで治療をしているときに新たに受付をしたいと言ってきた人を簡単に受け入れていたので、永遠に終わらないのではないだろうかという思いがあり、午前中勤務は休憩なしで何時間も働かさせるため苦痛で仕方ありませんでした。
祖父が亡くなっても忌引すらなく、働かされたことで退職を決意した
辞めたいなという思いは日々抱いていて、働きに見合った給料を貰っているという訳でもありませんでしたので、働き続ける意味というのはないと思っていました。
しかし、辞めるきっかけを失っており、ズルズルと働かされている状態だったのです。
そんなとき、仕事に行く前、私の祖父が危篤状態となったことが分かったのです。
近くに住んでいる祖父は一年前から入院していて、あまり長くはないということを知っていたのですが、危篤状態になるまで体力が落ちていたというのはあまりにもショックで、会いに行きたいという思いを抑えて仕事へと行きました。
すると昼休みに携帯電話に留守電が入っていて、祖父が他界したことを知らされたのです。
そのことを上司に伝えると、一応はお悔やみの言葉を言ったのですが、葬儀の日程を聞くと、丁度午前のみの治療の日だから大丈夫だと言い出したのです。
お休みをもらえるものだと思っていたのですが、自分たちが楽して儲けることが優先のようでした。
通夜の日、私は一刻も早く帰宅したかったのですが、早く帰らせてくれることもなく、最後まで治療に付き合わされ、これまでは一度も帰らせてと言わなかった私でも、祖父の通夜に間に合わないので帰らせてくださいと申し出ました。
すると渋々承諾をして、私は大慌てで葬儀場へ行きましたが、すでに通夜は終わっていました。怒りを感じながら、私は次の日、休んでやろうかという思いがありました。
通夜にも出席できず葬儀の日すら仕事を入れられもう働けないと思った
兄妹はみな休みもらっていて、通夜に出席できなかったのは私だけで、両親からこんなときだから休みをもらえないのかと責められてしまいました。
しかし、休むことなんて出来ずに職場へ行き、午前の治療が早く終わるようにと願っていると、奇跡的に11時30分には患者がいなくなったのです。
葬儀もあるので帰らせてもらえるだろうと思ったら、奥さんが体調悪いから治療を手伝ってと言われ、仕方なく治療に付き合わされてしまったのです。
結局解放されたのは12時を過ぎていて、それから告別式へと急ぎました。
すると、式には間に合いましたが、遺影との写真撮影などには間に合わず、家族からはもっと早く来てほしかったと言われる始末。
私はもう、こんなところに働けないとやっと決心し、一週間後に退職を申し出ました。
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