友人が立ち上げた訪問介護事業所で働いて後悔!もう二度と働きたくない

みんなの退職体験談

高齢者介護の仕事を続けてきてた中で働いたことを後悔した会社

大学を卒業してからずっと、高齢者介護の仕事をしています。

業界は同じでも職種も求人も多い仕事ですので、転職は何度かしてきました。

たいていは生活環境の変化、結婚したとか子供ができた、新しい資格を取った、などで転職してきましたが、どうしても辞めたくて辞めたくて仕方がなかった仕事も中にはあります。

それこそ、その仕事をしたことを後悔したものもあります。

そのうちのひとつが、訪問介護事業所のサービス提供責任者でした。

友達が訪問介護の仕事を立ち上げ、どうしても来てほしいと頼み込まれた

もともと長く介護業界にいた私ですが、施設やデイサービスなどの勤務場所ばかりで、介護業界のなかで一番過酷といわれる訪問介護の仕事は絶対にいやだと思っていました。

ある程度経験を積み、介護業界で一番難しいとされるケアマネージャーの資格を取り、フルタイムのパートで働いていたころ、仲のよい友達からサービス提供責任者の仕事に誘われたのです。

当時働いていた職場は特にたいした不満もなく、福利厚生や職場環境にも恵まれていました。

ただ、ケアマネの仕事はいわゆる現場ではなく、書類の作成や利用者本人ではなく、家族や事業所の要望にこたえることが多いです。

お年寄りが好きで介護の仕事が好きだったので、現場に心残りがあったのは事実。

ただ、訪問介護だけは割にも合わず移動も大変なので、全く興味はなかったのです。

友人が訪問介護事業所を立ち上げるのに、私にぜひ来てほしいとしつこく誘った理由。

それは、会社で働くヘルパーが全員未経験で、責任者ができる資格がなかったからです。

今思えば、そんな無謀な状況で会社を興すことがまず間違っているのですが、大口の利用者を確保していた友人たちは全く諦めません。

若いうちしかできないと思い、いくつかの条件を出して働くことにしました。

土日祝休み、夜は働かない、今の給料は確保してほしい。

条件としてはかなり厚かましいです。

しかも、他に責任者は探し続けること、見つかり次第辞めさせてもらうことも釘を刺しました。

妊娠中もハードな仕事が続きついに流産!もうこの仕事を辞めたいと思った

そして働き出したのは真夏。

記録的な猛暑での開始でした。

仕事内容はとにかくハードでした。

右も左もわからないほかの職員にいろいろと教えながら書類の作成もあります。

やりがいがないわけではないのですが、精神的にもつらかった。

そんな中、まさかの第3子を妊娠したのです。

当時は34歳で産むときには高齢出産、しかし会社が軌道に乗り出したばかり。

つわりはひどかったですが、ぎりぎりまで内緒にすることに決めました。

変わりなく炎天下働く毎日。出産間際には社長をしている友人の夫が資格を取得できるはずだったので、それまでがんばろうと思いました。

しかし、過酷な仕事のせいばかりではないと思いますが妊娠9週で流産。

処置のため入院、手術することとなり、初めて友人である社長に告白し、休みをもらいました。

友人もショックを受けたようで、このころから少し溝はできていたと思います。

退職者が続出し人手不足も悪化!夫からも退職するように言われた

ある程度体が落ち着き、元通りに働けるようになったころから仕事が増え始めました。

そして、周りの素人から始めた人たちがバタバタと体調を崩していきます。

無理させるわけにも行かず、自分がシフトを作ることもあり、一番きつい仕事は毎日自分が取り、土日祝も仕事が入るようになりました。

たまの休みや時間のあるときはひたすら書類作成です。

頻繁に熱を出し、目の下のチックが止まらなくなりました。

最高で20日間休みがなく、そのときには毎朝吐いてから出勤。

流産した上に労働条件は違い、しかも給料は固定。

私も限界でしたが、夫が激怒し、さっさと辞めるように毎日迫ってきました。

求人に全く応募がないため、辞めたくても辞めさせてもらえなかった

このころから、とにかく辞めさせてほしい、求人を出してほしいと訴えていました。

しかし人気のない職種、求人を出しても全く応募が来ません。

需要はある仕事ですので新規の仕事は舞い込む、忙しすぎて何も考えられない、体は限界、ぼろぼろでした。

それまでいろいろと介護の仕事をしていましたが、一番つらかったです。

友人たちで立ち上げた会社ですので基本的にみんなが仲良いのが救いでしたが、忙しすぎてだんだんぎすぎすしてきます。

辞めたい辞めたいとそればかり考えていました。

退職するためになんとか後任を育てようと必死に資格を取得させた

サービス提供責任者は、介護福祉士か、実務者研修修了が必須です。

私の持っている介護福祉士は、三年働いて試験を受ける国家資格ですが、実務者研修は、言い方は悪いですがお金を積んで、きちんと通えば取れます。

一年働いた段階で、他の職員全員にこの研修に通ってもらいました。

その間ますます人手不足になりましたが、最後のがんばりと思い死ぬ気で働きました。

ちなみにこのころ月に三日休めればいいほう、給料は額面で20万固定、ボーナスなしでした。

本当にブラックだったと思いますが、この職種の小さい事業所はどこもこんなものだと思います。

資格を取らせてから強引に退職し、前職のケアマネの仕事に復帰した

みんなが資格を取ってから、半ば強引に仕事を辞めました。

友人ともかなり険悪になりました。

現場で働きながら引継ぎをし、有給を取ることもなく、月末までかっちり働いて、翌日から働き出したのはその前に働いていたケアマネの職場です。

穏便に退職していたことと、まじめに働いていたのでうまく戻れることができました。

結局この会社には一年半しかいなかったですが、本当にきつかった思い出しかないです。

ちなみに今も取引先としてお互いに利用しながら穏便に付き合っています。

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