やりがいを感じていたはずの介護福祉士の仕事を退職してしまった理由

会社辞めたいと思った体験談

やりがいのある職場に希望を持って働き始めた介護職

私は高校卒業後に専門学校に二年間通い、介護福祉士の国家資格を見事取得し介護老人保健施設で働くことになりました。

初めての職場は人間関係も良好でとても働きやすく、やりがいのある職場ではありましたが、私はその職場を四年で去ることを決めたのでした。

職場の長である看護総師長は私の事を買ってくれ、新卒で入職したにも関わらず三年で新しく立ち上げた介護サブリーダーというものに私を指名してくれました。

サブリーダーになったことで自分の理想の介護を行えるように調整したりすることが出来るようになってきた一方で、自分の理想とする介護はここのような大きな施設(入所者合計100名)では限度があるのかもしれない…と思うようにもなりました。

そんな毎日の中で、理想は所詮理想なのか…。

理想の介護が出来るところはないものか…とインターネットで調べるようになり、そこであるサイトと出会ったのが初めての施設を辞める決断をしたきっかけであり、私の心を壊したきっかけともなったのでした。

志を持って介護の仕事に取り組もうとしたが、うまくいかない

インターネットで知り合ったその人達(そのサイトを運営している人と会員の数人は、同じ施設で働いていた)はとても介護に対する志を高くもっており、介護観も私と通ずるものがありました。

インターネット上で介護についてやり取りを交わしていく中で「この人達と一緒に働いてみたい。きっと私の求めている介護が出来るに違いない」と強く思うようになったのです。

そうして私はその思いを叶え、この人達のいる施設へ入職しました。

しかし、同じ介護観を持ち、高い志を持つ人達…というだけで、私が入職したのは初めての職場と同じ100人入所の介護老人保健施設。

それも間違いの一つだったのかもしれません。

入職してすぐに、間違いだったのでは…という思いはありましたが、だからと言ってすぐに辞めるわけにもいかず、住めば都。

慣れればきっと大丈夫。

あんなに介護観の合う志の高い人達がいる職場なんだからきっと大丈夫。頑張ろう。

と初めの一カ月は毎日泣きながら耐えました。

二カ月目には人間関係にも仕事にも慣れ泣くことはなくなりましたが、無駄なシステム、慢性的な人手不足、介護内容の古さ(この頃の介護業界は個別介護を推奨するようになり大型施設でも個別介護を行う方向になってきていた。しかしこの施設は流れ作業の集団介護を当たり前のように行っていた)、介護以外の雑用の多さ等には慣れることなく、また「慣れてはいけない。自分がここに馴染んだ頃には全てを変えてやるんだ」という思いで毎日を過ごしていました。

私が入職して一年程経った頃、集団介護のこの施設にも個別介護の波がやってきました。ついにやってきたか。

とばかりに前施設で学んできた個別介護の内容や自分の介護観に基づき様々提案しましたが、ここのスタッフにはほとんどが受け入れられることはありませんでした。

なぜなら、ここで働いているスタッフのほとんどが新卒でこの施設にやってきた人ばかりで、今までのやり方を「おかしい」と思っている人がほぼいなく、それを崩そうと思う人が居なかったからです。

私の提案が多数決により却下された時、直属の上司が「本当にそれでいいの?多数決で決めちゃっていいの?もっと推すべきなんじゃない?」と言ってくれたことが唯一の救いでした。

しかし今までの経験から、反対意見が多い中でやり方だけを無理やり推し進めたところで、そこに気持ちが付いてこなければやっつけ仕事になってしまう。

介護がやっつけ仕事になってしまうことは良い結果は生まれない。

と分かっていたので、その時は悔しい気持ちとともにその提案をおろしたのです。

またいつか、またいつか多数の人に納得してもらう形でこの提案をしていきたい…という思いを持って。

しかし、私がその提案をすることはもう二度と来ないことになりました。

ハードな介護の仕事に、だんだんと心がついていかなくなってしまった

いつの頃からでしょう。

私の心が壊れ始めたのは。

介護の仕事と言うのはいつでも笑顔でいられるものではありません。

特に私が勤務していた認知症棟では、暴力もありますし、暴言もあります。

何度も何度も同じことを聞かれ、何度も同じ説明をします。

さっきは「わかったよ」と言ってくれていたのに次の時には「いやだよ」と拒否されたりもします。

お薬の服薬を拒否されたり、歯磨きの拒否、お風呂の拒否、など日常茶飯事です。

それまでの私は、どういうアプローチをすればうまく持っていくことができるかを考え、様々な方向からアプローチして気持ちよくやってもらえることにやりがいを感じていました。

しかしこの頃の私は、拒否されるとイライラしてしまうようになり、私のイライラが相手にも伝わりさらに悪循環…ということが増えてきたのです。

自分でもこんなんじゃいけない…といつも自己嫌悪でしたが、自分の心をコントロールすることができなくなってきていたのです。

介護の仕事を辞めることを決めた決定的な出来事

この日も私は自分の心をコントロールすることが出来ずに、あるご婦人にきつく当たってしまったのです。

「こんなんじゃだめだ。あとできちんと謝ろう。きっと覚えてはいないだろうけど(重度の認知症で短期記憶が保持できない)。この業務が終わったら、きちんと説明して謝ろう」そう思って業務を行なっていた時、あちらから先ほどのご婦人が近づいてきて私に声をかけたのです。

「さっきはごめんね。あんた、私のこと思って言ってくれたのに、私ったら大人げなくあんな風に言い返しちゃって」…と。

短期記憶の保持が難しい方の記憶に強く残るような嫌なやり取りをしてしまったんだとういう嫌悪感と罪悪感が私を襲いました。

仕事中なのに涙があふれてしまい、謝りながらその方の前で泣いていました。

この仕事を辞めようと決めた出来事でした。

私はこの仕事をしていてはならない。

どんどん自分の理想から遠のいている。

自分のやりたかった介護が今の自分にはもうできない…。

耐えきれず退職したものの、今もどうすればよかったのかわからない

心がもうギリギリだったんでしょう。

主人に「あのね、相談なんだけど…」と切り出しただけで「いいよ。辞めても。毎日毎日辛い顔して。そんなに辛いなら辞めていいんだよ。」と言われました。

自分では気づいてなかったけれど、相当辛い顔をしていたようです。

こうして私の介護福祉士としての六年は幕を下ろしました。

あれから七年が経とうとしてますが、いまだに介護の仕事に戻りたいとは思えません。

結局のところ自分でも、何がこんなに私を追い詰めたのかははっきり分かっていません。

自分の理想の介護が出来る!と期待しすぎたのでしょうか。

もし職場を変えずに初めの施設にいたら、わたしは辞めずにいたのでしょうか。

職場を変える時に。

大型施設での限界を悟り小規模施設に行っていれば、辞めずにいたのでしょうか。

こうして思い起こしながら綴っている今でも、わからないままです。

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