「きつくて大変」とわかっていながら、TV番組のADになった理由
テレビ番組のADといえば、誰しも「きつい」「帰れない」などのイメージがあるのではないでしょうか。
同じくそんなイメージを持っていたにも関わらず、その業界に飛び込んでしまった私の経験をお話しします。
まずきっかけですが、大学時代の先輩のお誘いでした。
大変だと知りつつ、「尊敬する先輩に誘われた=先輩から認めてくれた!」と思い込んでしまった私は、アルバイトからADを始めました。
最初は収録のみの手伝いでした。
裏方はインカムをつけているイメージがあるかと思いますが、副調整室から声だけで指示が飛んできます。
指示以外はだいたい愚痴です。
「商品出すの遅いよ!」などスタッフ側への指摘もありますが、タレントさんがインカムをつけていないのをいいことに、タレントさんへのダメ出しもすごいです。
「いつまでダラダラ喋ってるんだよー」「つまんないんだよ」などです。
大人の世界を垣間見るようで嫌でした。
もちろん華やかな世界ですから、友達に「〇〇さん見たよ!」「食堂で普通に食べてたよ」「番組一緒だったんだけど、いい人だよ」というときには格好のネタになりました。
また、まだ社会に出ていない学生の中で、自分は最前線で働いているんだ、という、他の学生より一歩先に行っているような気がしていました。
長期休みを利用して、番組の制作にも関わるようになりました。
街へ出てインタビューして番組に使えるネタがないかリサーチしたり、与えられたテーマでクイズを作ったりなどです。
単発の仕事は数日で終わりますが、特番は数ヶ月をかけて準備をしました。
ほぼ休みなく一ヶ月働き、終電に間に合わずネットカフェに寝泊まりするなど当たり前でした。
ADをずるずる続けた私はうまく就職できずに、そのまま続けることになりました。
社長との関係がうまくいかず、パワハラを受けるようになり退職を考えた
制作会社社長からの、パワハラがひどかったです。
今はパワハラという言葉で片付きますが、当時の私は「仕事ができない私が悪い」という思考に陥り、睡眠不足で正しい思考ができず、どろ沼から抜け出せないでいました。
まず容姿に関わる批判が多かったです。
社員には可愛い子が多かったので「ブス!」など日常茶飯事でした。
また、収録中に顔が映るかもしれないシーンがあったのですが、「おいブサイクなんだからどけ!○○さんに変われ!」と言われ、周りから笑いがおきたのは本当に悔しかったです。
怒られた時にカバンをひっくり返され、私が読んでいた純文学の本を投げつけ「こんな本読んでる場合じゃねえだろ!」と言われたりもしました。
ただひたすら怒られたら「ああ怒っているどうしよう」と思考が止まり、今思い出しても何故あんなにも怒られていたのか思い出せません。
思い返して自分が良くなかった点は、今までのアルバイトの経験から「上司は私の力量を見て仕事を振ってくれるはずだから、できるはず」「上司の仕事のやり方は正しくて当然」と思い込んでいた節があったような気がします。
上司に楯突くことは絶対にしてはいけない、という思い込みがありました。
実際はオーバーワークだったので「私には無理です」「その量は1人ではできません」と言えば状況は変わっていたかもしれません。
また、仕事のできる先輩たちは、社長に楯突いたり、社長の意見に「それはちがうと思う」と反対したりしていました。
今思えば、社長はそういったタイプの人間が好きで、ただはいはい言って働く私のようなタイプが嫌いだったのだと思います。
意見しても受け入れてくれたり、ある意味上司部下関係なく、公平に人として関われる部分もあったのかなと思います。
そういった意味で、社長とそういう関係性を築けなかった私の不徳でした。
辞める事を伝えたら仕事にいけなくなり、そのまま退職することに
一つの番組に関わりだしてしまうと、義務感から、その仕事をやり遂げなければ迷惑がかかると思い、その仕事が終わるのとかぶるように次の仕事が入って来て…と抜け出せない悪循環に陥っていました。
「辞める」と言ってものらりくらりとかわされて、次の仕事を振られたりしました。
精神的に追い詰められて、目をつぶって眠って現実から逃げたいと思い、10分ほどトイレの個室の床で寝たこともありました。
駅から15分の道を、うまく前に足を運べず1時間かけて通っていました。
いつものようになあなあ次の仕事をふる社長に、決意して「私は辞めるんでそれはやらないです」と言ったらあっさり「あ、そう」で終わりでした。
辞めると言ったら急に力が抜けて、テレビ局に行けなくなりました。
まだ仕事の後片付けが残っていました。
社長は嫌いでしたが、テレビ局員の方は関係ないのに、迷惑をかけてしまいました。
未だにその人の名前をテロップで見かけると、胸が痛みます。
責任感ゆえに辞められないと思っていましたが、結局立つ鳥跡を濁した形になってしまったことが、心残りです。
たとえば自分が今後もテレビマンになりたいとか、こういう番組が作りたいという目標があれば、ADという辛い仕事も乗り越えられたのだと思いますが、私の場合は、ただの勢いで、別にディレクターになりたいという思いもなかったので、この業界に残ったところでアシスタント以上のことをする希望がなかったというもの大きかったと思います。
忙しいと先のことを見失いがちですが、自分の将来への意識を持つことも大切だと思います。
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