憧れて夢に近づくために必死で頑張った映画制作会社の仕事を退職
大学を卒業し、それまでまっすぐに、映画に携わる仕事がしたいという夢を実現すべく、大手の映画配給会社を数社受けていました。
そんな簡単に入れるわけもなく、誰もが聞いたことのある有名企業ではない、裏方の仕事、字幕をつけたり、日本語版のアフレコ制作をする制作会社に就職しました。同期が4人。
上下関係に特に厳しく、何より拘束時間がとてつもなく長かったです。
今冷静に考えると、全く給料に見合っていない雇用形態だったと思うのですが、当時の私は、少なからず自分の夢に向かって、人気のある職種という漠然とした理由だけで、毎日ついていく事に必死だったように思います。
理不尽なことが多かったですが、これを経ていくもんなのだという概念もなぜか先輩たちに泣かされたりしながらも思っていました。
心の拠り所にしていた女性の先輩がいました。
私たちは喫煙所で唯一、彼の話しをしたり、同僚のグチを笑いながら話したりする間柄で、私は彼女の存在に助けられていました。
彼女は私より後に中途で入社してきたのですが、私に比べ、大人だし当然仕事の経験値も豊富です。
しばらくすると、人間関係でうまく行っていないような様子で、辞める方向で話しをしていると聞くようになり、最後は同じ部署の人間が会議室に集合させられ、記憶は曖昧ですが、反対を押し切って辞める。
というような印象をあたえる形で見せしめのように辞めていきました。
信頼していた先輩の退職をきっかけに、自分も退職を考えるようになった
それぐらいから私もそれまで考えなかった退職。
ということを考えるうになったと思います。
親友には顔が変わってきた。
そのままでは良くない。
親にも、現状を相談すると1年すこし経っていましたが、もう充分だから辞めた方がいいんじゃないかと言われるようになり、一緒に住んでいた彼にも、会社から仕事の呼び出しの電話がかかってくると、俺が出ようか。
まで言われるようになっていました。
自分ではそんなに感じていなかったですが、作業後、徹夜明け、シャワーを浴びるだけに家に帰っていく、朝のラッシュ時、逆方向に歩く私は、もはや生きる屍のような様子だったかもしれません。
そこから辞めるまでが大変でした。
こちらは退社したいと決意が固まると、もう1日でも早く辞めたいのです。
通勤の道さえ、歩くのが苦痛でたまらなくなります。
最後は辞表を出し、直属とその上の上司に、話しがあるからと呼ばれ、会議室で、そうしても辞めるのか、今まで頑張ってきたことはどうする。
など言われました。
私が一番の理由として上げていた直属の上司のパワハラについても、こちらも反省しているしなおす等言われましたが、私の決意は固く、そのまま辞めました。
最後に菓子折りを持って、その他お世話になった別部署の方たちに挨拶にいきました。
入れ替わりが多い会社ですので、皆、何か追求することもなくあっさりとしたものでした。
その時には同期も私を除き、男性1名のみでした。
彼には、デスクの中に入れっぱなしにしてしまった電子辞書を、その後持ってきてもらった記憶があります。
もう二度と会社に行きたくなく頼みました。
彼はこの会社を辞めるときは、実家に戻るときと話していました。
今はプロデューサーになっているといいなとたまに思い出すことがあります。
体力と忍耐とと、ちょっと古い感じですがその会社の新入社員、とくに制作部ではそれが一番求められ、おまえの他は沢山いると言われたりしても、強く気持ちを切り替えできれば続けられたのかもしれません。
ですが、後悔をしたことは一度もありません。
大好きな映画は、趣味でたまに見に行くものとなりました。
得たものは、絶対遅刻しない。とか20代前半の修行でした。
その後に入った会社でも体に染み付いているので遅刻とかという意味ではまったく苦労しなかったです。
まわりの同僚や先輩のゆるさにびっくりするレベルでした。
退職後もあの頃の辛かった記憶は忘れられない
その後、10年くらいはその会社の最寄り駅に行くと、やっぱり心臓がぎゅっと何かからか防御するような気持ちになりました。
辛いことって本当に忘れないのが人間です。
当時同棲していた彼とは、数年後別れましたが、彼も同じような業界で、やはり苦しんでいたので、もはや恋人というよりは毎日を生き抜く同士のような存在でした。
今振り返ると、9割苦しかったはじめての社会人1年目の経験です。
その後は生活するために、とにかく稼がなくてはいけない。
でもバイトも稼げないしと、適当に探しはじめて中途でギャラリーに務めました。
それもまた別の機会に書きたいと思いますが、とにかく生活するためにという理由で職を探すということはとてつもなくリスキーでした。
その職も程なく辞めることになるのですが、自分は本当に何をしたいのか見失うようになり、結婚という選択で、そんな環境から逃げようとしていたと思います。
とういう時は、彼も私への見方が変わってきた頃のように思います。
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