営業の仕事で客先への訪問がプレッシャーで仕事が憂鬱に
高校生の頃からバイクのエンジンを分解したりすることが好きでしたので、何れ学校を卒業してどこかの会社に就職する時には技術系の仕事をするのだろうと誰もが思っていました。
勿論自分もそのつもりではいたのですが、第一志望の外資系メーカーの技術部門採用試験には合格せず、結局叔父が経営する理化学機器の販売会社に入社することになりました。
そしてそこでの仕事は、代理店契約をしているメーカーの機器を学校などに販売するセールス職でした。
最初は先輩との同行で私立や公立の高校・大学を回り、先輩が実施する機器のデモンストレーションのお手伝いが中心でしたが、暫くすると単独でのセールス活動、そして所謂ノルマが与えられるようになりました。
もともと機械いじりが好きであった私は、機器のデモンストレーション自体には面白みを感じていたのですが、その前の段階としてデモンストレーションのアポイントメントをとる活動、即ちセールス活動そのものは好きな訳でもなければ得意な訳でもありませんでした。
その最大の理由は、売り込むべき商品の機能や性能についての説明に力を入れすぎて、それを使って頂きたいお客様の希望や疑問を聴く事を疎かにする傾向があったからです。
その結果は確実に営業成績に現れてしまい、担当していた学校の殆どでデモンストレーションの段階まで話を進めることが出来なかったのです。
従って当然ノルマ達成には程遠くなり、上司からは強いプレッシャーがかかるようになってしまいました。
そうなると毎日出社した後に「今日はどこへ売込みに行けばよいのか?」と悩むようになり、それが苦痛で会社に行くことさえ嫌になってしまったのです。
ピンチに駆けつける技術職へ転職を希望するようになった
そんな日が続いていた或る日の夕方のことです。
お客様で機器のデモンストレーションを実施して帰社した先輩が、メーカーに電話して機器の不具合を訴え始めたのです。
すると翌朝一番でメーカーの技術者が駆けつけ、早速機器の点検を始めて問題個所の修復をしたのでした。
その迅速な対応に満足した先輩はその技術者に礼を言い、再度デモンストレーションに出かけて行きました。
そしてその時に私は「メーカーの技術者ならば、訪問先を自分で決めなくても、呼んでくれたお客様に行けばよいのだ」と考え、そんな仕事に魅力を感じてしまったのです。
ましては好きな機械いじりだけに専念出来る仕事であることからなおさら魅力が増してしまったのです。
ところがその種の仕事は販売専門の会社には当然ありませんので、その仕事に就くにはメーカーに移らなければなりません。
そこで早速叔父である社長に相談し、何とかそのメーカーへの転職に口をきいてほしいと頼み込んだのです。
叔父であるがための甘えであることは分かっていましたが、魅力を失った仕事を続けることはかえって叔父に迷惑をかけることになると説得し、最終的には転職する事への同意を得ることは出来ました。
但し、条件はその販売会社で取り扱っていない機器のメーカーの技術部門への転職でした。
それは、他の社員が同じような転職を希望することを防止するためとのことでした。
経営者としてのそんな叔父の気持ちは十分理解出来ましたので、その条件に従って全く別の業界のメーカーへの転職を決め、伯父の販売会社を円満退職しました。
技術職に転職するものの、トラブルが起きないように客先を訪問する毎日
転職先は或る精密機器メーカーの技術部門でした。
いくら機械いじりが好きであったとは言え、全く違う業界の機器の技術教育を受け、エンジニアとしての必要技術を習得することはそれ程容易なことではありませんでした。
それでもその教育を受けた後に待っている仕事への魅力を考えると努力を惜しむことはなく、無事に数ヶ月の教育課程を修了することが出来ました。
そして希望の部門に配属され、新しい仕事が始まりました。
その部門での仕事は期待通り、お客様から呼ばれた時に駆けつける仕事でしたので「今日はどこへ行けばよいのだ」などと悩むことがなくなる、との思いから楽しい毎日の始まりでもありました。
ところが、その部門での先輩や上司からの歓迎の言葉は「自分が担当するお客様からはなるべく呼ばれないような仕事をしなさい」でした。
そして、お客様から呼ばれるということは、そこで使われている機器に不具合があるからであり、そうならないような品質管理や保守に問題が有るからだとの説明を受けたのでした。
確かにその通りではありますが、自分にとっての新しい仕事は「急病人に対する救急隊員の仕事」や「火災に対する消防隊員の仕事」と同じであるとの使命感で一杯であったために、出番がない方が良いとの考えには少々戸惑いがあったことは事実です。
それでもその言葉に納得しましたので、不具合を起こさないように予防保全の計画を作り、先手の点検をすることを日課とした結果、結局は訪問先を自分で決めなければならない仕事への転職であったのです。