仕事を辞めるのは難しくない!海外留学のためにブラック企業を退職

みんなの退職体験談

新卒で広告会社に就職。新人研修で人事の人が豹変!地獄のようだった

大学卒業後、とある広告会社の営業職として就職しました。

この会社を選んだ理由としては、①内定を早々にもらうことが出来たから、②もともと広告関係の会社に就職したかったから、③上場企業だったからという3点挙げられます。

就職する直前の大学4回生の春休みは、大学生のままが良いという思う反面、入学式を待ちわびる高校生のように、働き始める事に楽しみを覚えていました。

しかし、実際に入った後は、辞めたいと思う毎日が続く地獄のような日々でした。

私が新入社員として入社したその会社では、全国からの新入社員全員(約30人)が4月1日に本社がある名古屋に集められました。

会社が借りたウィークリーマンションに泊まりながら1か月間本社に通い、新人研修を受けるという毎年恒例の事でした。

ウィークリーマンション自体は綺麗で、会社からも徒歩15分程の立地にあり良かったのですが、1ルームを2人で住むというプライバシーがほとんど無い狭い部屋に残念な気分を味わいました。

4月1日入社式を終えて翌日、研修を迎えたのですが、そこで驚いたことに、人事部の人柄180度変わっていたのです。

今まで内定者として扱われていたので、「心配事はありませんか?」「些細な事でも何でも相談してくださいね!」と優しく接してくれていたのが嘘のように、些細な事でも理不尽に怒ってきました。

経営理念の唱和を一言一句覚えるのは勿論のこと、全員大声で発声し、少しでもずれている人がいたり、声が小さかったりしたらやり直し…まるで洗脳されているかのように会社の理念などを刷り込まれていました。

さらに、毎朝本社にいる全社員が集まる朝礼では新入社員だけでパフォーマンスを強いられ、「出来が悪い」「おもしろくない」「ネタが毎回被っている」などの非難を受けました。

朝礼のパフォーマンスを毎日変えなければいけない為、毎日研修が終わってからも新入社員だけウィークリーマンションに集まり、夜中まで打ち合わせ…朝はパフォーマンスの練習の為、早朝から出社という定時なんて関係のないサービス残業が入社早々に続きました。

新入社員研修を言えばビジネスマナーや社会の知識などをイメージしていましたが、ここで学んだ事は、仮に転職したとしても、別の会社で活かせそうにないものばかり…早く研修が終われと祈りながら夜な夜な疲れた体で布団に向かっていました。

こうして長く感じた1か月の研修をようやく終わり、新入社員は各エリアへ配属されていきました。

この時は監獄から解き放たれた囚人のような清々しい気分でしたが、この時は別の監獄に入れられる等と思いもしませんでした。

配属された営業所は完全にブラック企業!毎日辞めたいと考えていた

日本全国に営業所がある会社だったので、約30人いた新入社員はほとんどバラバラに飛ばされていきました。

私が配属された部署は、新入社員は私だけでした。配属後はOJTにて先輩の営業同行、自社の商品知識など新入社員らしい研修を受けていました。

当時は「少しでも早くデビューしたい!」という思いで営業のロープレを毎日何度も練習し、上司に見てもらっていました。

帰社時間も定時ではなかったものの、本社での研修と比較すれば楽に思えるほどでした。

毎日の練習の甲斐もあり、配属から2か月でデビューをすることが出来ました。

その当時は「今までで最速のデビューだ」と上司に言ってもらい、自分自身も舞い上がっていました。

上司からクライアントの引継ぎを受け、ようやく独り立ちする事ができ、新しい環境に楽しみを覚え始めていたのですが、長くは続きませんでした。

新入社員という事もあり、クライアントからは厳しく当たられることはしばしばありましたが、何よりの問題は前任の残した爆弾処理でした。

担当して初めて訪問した客先で「契約をやめる」といきなり言われ、どうして良いかわからず前任の上司に相談すると、「そこはお前の担当だろ?自分で考えろ」と突き放されました。

自分なりに頑張って何度も足を運んだものの、結局は無駄になってしまいました。

それも1件だけではなく、何件ものクライアントに言われ、デビューして早々私の担当しているエリアの売上は下がりまくり、上司からは「なぜこうなった?」「ちゃんと努力したのか?」「責任感が足りない」と怒られる毎日…契約が切れそうになっているとわかりながら、それを新入社員に押し付ける理不尽な爆弾ゲームでしかありませんでした。

売上を追う為に毎日残業が続き、時には日付が変わるまで居残るのも当たり前になってきました。

上司からは残業時間が多いと人事から指摘されるという話を何度もされている為、タイムカードは定時で切り、サービス残業が暗黙の了承という環境でした。

残業をしても売上がそう簡単に上がるわけもなく、上司に怒られる日々が毎日…そして新商品が出てきてはノルマができ、それを達成しなければ更に怒られるというルーティン…上司にアドバイスを求めても「自分で考えろ」の一言で終わり、解決策が見当たらない日々が続きました。

デビューして1年、2年と経っても、毎月の予算を一度も達成することが出来ず、会社に行くのも嫌になり、毎日辞めたいと思い始めていました。

とても定年までなんて働けない!就職から3年で退職することにした

毎日ストレスを感じる日々の中のオアシスといえば、学生時代からの友人と飲みに行くことでした。

週末は毎週のように飲みに行き、仕事の愚痴を酒のつまみにしていました。

他の営業職の友人の話を聞くと、ノルマは厳しいけれど、先輩・上司が親身に相談に乗ってくれるから何とかできているなど、職場環境が恵まれていることを羨ましく思っていました。

この会社で定年まで迎えている姿が全く想像できない私にとっては、目隠しされたままいつ終わるかもわからない電気椅子に縛られているようなものでした。

3年目にもなるとフェイスブックなどで友人が仕事を辞めた投稿などを見る事も増え、自分自身も辞めるという選択肢を考えるようになりました。

今までずっと辞めたいとは思ってきたものの、「辞めた後に次の仕事が見つかるだろうか」「今よりも更に劣悪な環境になったらどうしようか」などとマイナス思考になってしまい、辞める勇気がありませんでした。

退職し留学!そして今はワーキングホリデーを使って海外で生活している

そんなふとした時に、とある看板を見ました。

そこに書かれていたのが『留学して後悔したと聞いたことがない』というキャッチフレーズでした。

すごく些細な事ですが、この時の私には何よりも響いた言葉でした。

「20代という若くて、やり直しできるこの期間にこのまま嫌な会社で毎日過ごして良いのか?」。

大学時代に一度も海外に行かず、社会人になった私は海外に行くことへの憧れを持っていました。

しかし、休みもろくに取れないこの会社では海外旅行すらできない状況でした。

「ストレスしかないこの現状を変えるには、この方法しかない!」と強く思い、ずっと憧れていた海外への留学を決心し、留学を申し込んだ後に上司へ報告しました。

「海外留学に行くことに決めました。もう既に申し込んだので、この日までに辞めさせて頂きます。」

いざ辞めると決心してからの動きは、今まで悩んでいたことが嘘のように早かったです。

上司に報告し、数か月後に海外留学を経て、今はワーキングホリデーのビザで別の国にいます。

同級生からは「よくそんな決断できたな」と言われますが、いざ辞めてみると、逆に今までなぜこれが出来なかったのだろうと思うくらい簡単な事に思えます。

ワーキングホリデーが終わった後は何をするか何も見えない状況ですが、一つ言える事は、今「楽しい」です。

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