金融機関勤務で体験した退職したいと感じた体験談
某金融機関で10年以上働いていました。
働き始めて2年ほどは仕事を覚えるのにも必死で、大変なのは当たり前のことだし、先輩も優しく教えてくれたので特にやめたいとは思いませんでした。
3年目にさしかかり、自分の異動が決まりました。
数人の小さな店舗から10人以上いる大きな店舗への異動でした。
小さな店舗と大きな店舗では仕事のやり方も変わり、業務内容も増えるためまた覚えることが多い日々でした。
しかし一番そこで疑問に思ったことが仕事以前の問題でした。
昔ながらの会社では多々あることなのかもしれませんが、お茶当番が女性職員全員で順番で回ってきます。
お茶当番の人はまず出社したら男性職員全員にコーヒーを入れます。
コーヒーの砂糖とミルクの量はそれぞれ男性職員の好みの量がメモしてあり、それに従って入れます。
朝礼が終わると飲み物を片付けるのですが、その間実質30分程度なので、飲み終わらないことがほとんどでした。
窓口業務が始まると女性職員は飲み物を机に置くことは許されず、お客さんが途絶えて時に隙を見て裏に水道水を飲みに行くというのが当たり前でした。
窓口が閉まるとお茶当番は男性職員の飲んだコップを洗い、タバコを片付けます。
今思えばなんて理不尽なんだろうと思います。
窓口でトラブルがあっても全く上司が助けてくれない!
その頃の帰宅時間は毎日22時で、一切残業代は出ませんでした。
大きな店舗なので変わったお客様も多々来店されます。
窓口で怒鳴り散らすお客様も珍しくありませんでした。
他の金融機関はもちろん、異動前の店舗でも何か問題があれば上司が対応してくれました。
お客様も偉い人に対応されると少し心が軽くなることもあるかと思います。
しかし、この店舗の上司は違いました。
新人さんが困っていても、変なお客様が現れても、どうしても窓口では対応しきれないことがあっても後ろから見ているだけでした。
「全て窓口の責任」と言い放ち、一切対応はしてくれませんでした。
今思えば仕事のことがわかっていないから対応しようもなく、逃げていたんだなと思います。
金融機関では通常相続などの重要な手続きは上の責任者が対応することになっていますが、それらも全て窓口が対応していました。
毎日疲れ切っていました。
そんな時、朝礼後に上司から呼び出しを受けました。
「ラジオ体操のやる気がない、もっとまじめにやれ」と…。
そんなくだらないことを言われるために仕事の時間を割いて呼び出す上司にめまいがしました。
何もしてくれない助けてくれない仕事を増やすくせにそんなことでわざわざ怒られなくてはいけないのかとあきれてしまいました。
トップの方々からよく見られたいがゆえに研修を増やすくせに研修も女性職員にすべて任せ、自分は参加してタバコを吸いながら見ているだけ。
ノルマ達成の為にお客さんにうまく保険に入らせ、後でトラブルが起きてもそれは全て窓口対応…。
この店舗も2年で異動になりましたが、とても辛い2年間でした。
移動した店舗では誰も仕事を教えてくれず引き継ぎもなかった!
その後は1番小さな店舗に異動になりました。
小さな店舗なので課が分かれていなく、全て窓口業務は自分でやらなくてはいけない状況になりました。
しかし、だれにも教わることなく異動を宣告された次の日には一人で窓口をすることになりました。
当然のごとく、一回も見たことない書類や手続きが多々ありました。
そこの店舗で前働いていた窓口社員は誰もが恐れるお局様でしたが、その人しかわからないであろうことが多々あったので電話して聞いてみることにしました。
そこで一言「前のみればわかるでしょ」と言われて電話を切られました。
そこからは何でもかんでも自分で調べて業務をこなす日々でした。
上司は窓口専門のことはよくわからなかったのですが、一緒に調べてくれたり悩んでくれたり助けてくれたのでかなり救われました。
毎日残業してなんとか業務をこなしてましたが、わからないことがありすぎてパニックになり、誰も教えてくれない辛さに追い詰められました。
一人で課をひとつやっているようなものなので、監査が入って問題があればそれは全て自己責任。
毎月やることをやっていないと指摘されても、前店舗では一回も触ったことない小さな店舗特有の書類だし、引継ぎですら言われていないというものも多々ありました。
自分なりに調べて一生懸命やっているのですが、とある業者に「あなたは仕事をする資格がない」と言われたこともあります。
経験が全くないところに引き継ぎもなく人を異動させるのはこの職場では珍しいことではありませんでしたので、問題も多々発生し、やめていく職員も沢山いました。
慣れてきたことで10年勤務できたが一番つらい期間だった
ここから数年たち、仕事に慣れ気づけば10年間働いていました。
ここに来るまでの数年は自分の仕事していた中で一番辛かった期間だと思います。
仕事を教えてくれる先輩はいるけど、上司たちはどうしようもない店舗。
上司は優しいし助けてくれるけど、誰も教えてくれない店舗。
最後の店舗は優しい人たちに囲まれて、変わったお客様もいなく取引も少なかったので、慣れてしまえば平凡で幸せな日々を過ごせました。
この店舗から異動になるとまたあの辛い店舗に異動になる可能性があるのがとても嫌だったので、ちょうど自分が異動になりそうなくらいに結婚が決まったことをきっかけに退職しました。
コメント