希望していた地元の新聞社の募集で見事合格!順調に思えるスタートだった
23歳で現在仕事(新聞記者)を退職し、自営業を行っている男です。
大学4年生の頃、地元で働きたいなと思っていた私は地元での就職活動に励みました。
ある日地方新聞を読んでいると新聞記者の募集が目に入りました。
子供のころからずっと目を通してきた新聞だったので(記事や写真が載ったこともあります)是非と思い応募してみました。
私には大学時代から軽度のパニック障害があり、薬を飲んだりしながら生活をしていました。
なので就職活動でもそれがネックで応募しようと思うたび募集要項の「ただし健康な人に限る」の言葉で挫折してきたのを覚えています。
ですので今回もダメかなと思って応募したところなんと面接の電話がかかってきました。
面接の内容は非常に簡単なものでした。
募集動機ややってみたいこと、記者にとって必要なものなどをこたえるだけで合格と記者職の一番偉い人に言われました。
当時めちゃくちゃうれしくてスキップをしながら家まで帰りました。
その後働く前に社長と面談することになりました。
様々な精神論や働くコツなどを教わり、信念を聞きました。
その際この社長とは考え方が似ている・・ついていきたいなと思える非常に尊敬できる人と印象がありました。
絶対ここで働いてねという今思うと怪しい雰囲気を残しながら面談は無事に終わりました・
入社式での先輩記者たちの言葉にこの先仕事を続けられるか不安になった
いよいよ入社が決まりました。
社長に言われるがままに席に座りました。
そして入社式が始まります。
その時に工務(新聞を刷る係の人)にいきなり「お前そんな真ん中に座ってんじゃねぇ」と怒られ端っこに座らせなおされました。
社長の言葉が終わり、社長は社長室に帰り、記者は記者の部屋に帰ります。
部屋につくなり記者の人たちが一斉に社長のことを悪く言い始めたのを覚えています。
「あの狸親父の話が長い」「君はあんな人を目標にしちゃだめだよ」などとなんと社長は社内で嫌われていたのです。
具体的な理由としては社長が前年から変わり、就任したてだったこと、新聞の作る工程はよくわからなかったことでした。
しかし私は信念が立派な人だったので内心尊敬していました。
仕事を開始したが、専属で教えてくれる上司のパワハラに困惑
社長の悪評を聞きながらも仕事が始まりました。
まず言われたのはライティングです。
ちょうど今やってる作業のような内容です。
それを専属で教えてくれる次長が自分の専属コーチのようになりました。
コーチはこわもてで冗談と本気で怒っているときの差が分かりにくくちょっと苦手意識がありました。
それでも一生懸命ついていきました。
しかし、あるときできている課題に文句をつけられ、何度も訂正し、結局一番最初のものを次長が俺が書いたといって訂正になっていたのにショックを受けました。
内心では「じゃあ最初のでよかったのでは・・」という気持ちを抑えつつ謝り帰宅しました。
またその次長はなんでも俺に聞けと言ってきており、聞かないと記者としての好奇心が足りないと怒られました。
しかし聞くとそんなのもわからないのかといって教えてくれないことが多かったです。(この地域の江戸時代の歴史などです)
記者職は取材に出かけることがあるので取材に言っている間はわからないことがあっても聞けません。
そこでほかの先輩方に聞くことにしました。
しかしながら誰も教えてくれなく、「○○次長のやり方があるから・・俺はこれで合格なんだけど」と言われ突き返され結局その後次長に見てもらったところダメと言われました。
そのころから徐々にストレスが多く発作が出ることが増えてきました。
話していたはずのパニック障害のことが原因で結局退職することになった
いよいよ給料日です。
実はずっと給料は弊社規定にのっとりと書かれており、社長に聞いてもまあ少ないよと言われてました。
いざ開けてみると10万円で大卒の平均22万と比べると落胆しました。
それでも続けてれば上がるといわれたので特別褒められることもなくつづけましたが、ついにやめる本当のきっかけが頭角を出したのです。
パニックで許可を取り、よくトイレなどで薬を飲み休んでいたところ最初に怒られた工務の人に目を付けられ「さぼりだ!この野郎!」と激しく怒られ、理由を話しても聞いてもらえず、しまいには車までついてくる。
常に見張る、階段から突き飛ばす(3段ほど)などの嫌がらせが続くようになりました。
がまんが限界だったので社長に相談しましたが、社長はそもそも社内で信頼されていないうえに、なんとそういった精神障害のあるやつには辞めてもらう!!と強く言われました。
きちんと履歴書にも書き、面談で話し、面接試験でも行ったんですが聞いていなかったの一点張りで体が大きいから大丈夫かと思ったなどと言われました。
過去に精神病で辞めた人がいるかららしいです。
それからはもう記者の先輩たちも社長にも総スルーといった形で記事を仕上げても「ん。」と言われるだけで何もない空虚な日が続いたので自主退職という形をとりました。
新聞社がそういう病気について理解がなかったこと、工務のひとや上司に恵まれなかったなーと思った経験でした。
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