夫が突然無職になってしまった!家計を支えるために妻の私が取った行動

転職コラム

夫にまさかの退職勧奨!パートから正社員の仕事を探して転職活動

当時夫は五十歳、私は四十八歳、子供たちも独り立ちしてホッとしていたのもつかの間、夫が長年勤めていた会社から退職勧奨をうけました。

私の計画では夫の定年退職まではあと十年、その十年の間に二人のこれからのための貯金をして夫の退職金と合わせて余裕のある老後を送るつもりでいました。

そんな夢はもろくも崩れ去り、それどころが来月から私のパート収入だけの家計になってしまうのです。

もし夫の再就職がかなったとしても今までの水準の給与は到底無理な話です。

今まではパートタイムで働いていた私も正社員として就職しなければ貯蓄はおろか今の生活さえも維持できなくなります。

しかし世の中はリーマンショックの真っ最中でした。

就職情報誌を見たところで四十八歳の私に正社員の就職先などありませんでした。

大学新卒でさえも内定をとることが困難な時代です。

これは長期戦になるなと覚悟を決め、就職活動を始めました。

転職活動のためにパートからアルバイトに替え、職探しを最優先にした

買い手市場の中での求職ですので面接にしても会社の都合を優先するのが当然という雰囲気でした。

会社が指定する日時、時間に合わせることができるように平日の昼間は体を空けておきたいのでした。

しかし就職活動をしている間もお金を稼がなければ日々の生活が成り立ちません。

もちろんそれまでに多少の貯金もありましたがそれを取り崩してしまうのは危ないことだと思いました。

今まで勤めていた就業時間に自由の効かない時給の安い昼中のパートタイマーを辞め、平日の夕方と土日に比較的時給の高いセレモニーホールでの葬儀スタッフとしてアルバイトを始めました。

日中は職業安定所で有効な履歴書の書き方を教えていただいた後、実際に記入した履歴書の添削をうけたり職業相談などをして帰宅し、夕方からはセレモニーホールで通夜のお手伝いの仕事をし、夜は自宅のパソコンであらゆる就職サイトを検索するという日々が続きました。

年齢不問となっている会社に履歴書を送ってみたもののなしのつぶてということなどは当たり前でした。

十社に履歴書を送付して返事を頂けるのは一社ほどです。

うまく面接までいっても採用には結びつきませんでした。

自分はどこからも必要とされていない人間かもしれないと自尊感情がなくなり卑屈になっていきました。

同じ時期に夫も再就職に向けて私以上につらい求職活動をしていました。

しかし私にこれ以上不安な気持ちにさせないように厳しい状況の中でも努めて明るくしてくれました。

このまま葬儀会館のアルバイトを続けていると就職をあきらめしまいそうな自分がいました。

でもアルバイトでは生活をして尚且つ将来のための貯金ができるような収入は得られません。

必ず見つかると自分に言いきかせ強い気持ちを持ち続けると誓いました。

仕事が決まらない中、公務の仕事の求人を見つけ応募してみることにした

結果が出ない就職活動も三ヶ月が過ぎた頃でした。

いつものようにハローワークの求人情報検索で求職活動をしている時の事です。

何気なく検索条件のうち希望する産業分類の選択肢を一つ増やしてみました。

するとディスプレイには見慣れない求人がありました。

公務や分類不能の産業にあたる求人です。

つまり都道府県や行政機関でのお仕事になります。

そういったところが中途採用をするとは思っていなかったので、いままで検索条件にはチェックを入れていませんでした。

求人リストをじっくりと見ていくと、賃金はかなり低いのですが正社員の募集がありました。

夫の就職が決まらなければ彼を私の扶養に入れなければならないので社会保険に加入することは必要条件です。

生活の安定のため、派遣や契約でなく期限のない労働契約でなければなりません。

業績によって賞与支給が変動するのは困ります。

低賃金を除けばこれらの条件に適った募集でした。

ハローワークで紹介状をもらいあっさり面接の日程まで決まりました。

事業は県の外郭団体で職種は経理事務ということでした。

経理の経験はありましたので、あらかじめ職務経歴書に記載していた経験を口頭で詳細に語り即戦力になれることを強くアピールしました。

面接官をしていたのは六十五歳を超えているだろうと思われる団体の常務理事でした。

イチかバチかの作戦でしたが、夫が退職勧奨をうけ現在就職活動をしていること、自分も葬儀会館でアルバイトをしながら就職活動をしていること、正社員となり夫を扶養に入れる可能性があることなど今の自分の状況を全てお話しました。

常務理事がどのように思われたかはわかりませんでしたが自分としては後悔のない面接をさせていただきました。

なぜだかわかりませんが、わずかな手応えのようなものも感じていました。

経理事務として採用!夫も就職先を見つけ、ようやく一安心!

数日後、常務理事から採用の連絡をいただきました。

正直言えば採用された喜びよりもこれで先の見えない不安な就職活動を終えることができるという解放感のほうが強かったと思います。

このような心境は不況の当時に就職活動をされていた学生さんと共通するものではないでしょうか。

就職は新しい環境での社会活動や経済活動の始まりであるはずなのに、厳しい就職活動が長く続くと採用の内定をゴールだと感じてしまうのです。

転職先の仕事内容は面接で説明された経理事務でした。

以前に経験のある仕事でしたし難易度もそれほど高くないレベルでしたので困ることはありませんでした。

そして嬉しいことに求人情報に記載のあった基本給と手当以外に基本給の五倍以上の賞与が支給されるので総額としては思っていたより収入が多いのです。

残業も全くと言ってよいほどありません。

欲を言えばキリがないのですが五十歳近くで転職した事務職の待遇としては納得しなければならないのでしょう。

私の就職が決まった数週間後めでたく夫の転職も成功しました。

以前の会社に比べれば三分の二くらいのお給料になってしまいましたが、それでも夫婦二人の生活費と老後にむけての貯蓄をすることができるようになったわけですから贅沢は言えません。

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