残業手当なし!40日間連続勤務!リゾートホテルでの仕事に疲れ果てて退職

みんなの退職体験談

高級リゾートの裏側はとんでもない勤務体系だった!

初めて入った会社はリゾートホテルでした。

美しい自然に囲まれた、他よりワンランク上の高級リゾートが売りのホテルに、私は期待一杯で入社したのです。

最初は新入社員は全員みっちり研修が行われます。

教育担当の課長からお辞儀の角度やサービスの基礎を細かく指導され、同期とも和気あいあいで、スタートした時は、まさかこんなブラック企業だとは思いもよりませんでした。

配属が決まって、私はフロントの担当になりました。

上司も優しく、慣れないながらもなんとか日々の業務をこなしていました。

そうして初めての繁忙期となるゴールデンウイークがやってきました。

およそ10日間、休みは1日もありません。

加えて、繁忙期シフトなるものが作られ、毎日12時間勤務が最低ラインとなり、日によってはもっと早くから出て、仕事が終わるのは夜10時、なんてザラでした。

慣れていない私は、分からない事も多く、足手まといにならないようにするのが精いっぱいで、毎日何が何だかわからない状態で業務をこなしました。

お客様が少なくなるお昼から午後のチェックインまでの間は、本来ならできれば休憩したいところですが、忙しい部署の手伝いに行くよう命令が下されていました。

それでも、ゴールデンウイークはなんとか終わりました。

繁忙期とはいっても、短期間ゆえの無理がきいたのでしょう。

本当の地獄は、まだこれからだったのです。

さらにハードな夏の繁忙期に突入!40日間休み無しの勤務へ

初めて頂いた給料。

それは喜びとなるはずでしたが、驚きの方が大きかったです。

毎週末は残業が多く、当然、残業手当がついていると思ったのですが、なんと残業手当は一円もついていませんでした。

全員、残業手当はもらっていないんだそうです。

会社って、そういうものなのかな?と、無知ゆえに疑問を抱きながらも、何も不満を言いだせずに、次の繁忙期である、夏休みシーズンになりました。

ふたたび繁忙期シフトが作られました。

約40日間、全員、1日も休みはありません。

一日も、です。ゼロです。

そして朝7時半に出勤し夜9時までが私の勤務時間となりました。

それでも、私はまだいいほうだったのです。

上司は夜勤専門となり、夕方5時に出勤して、翌日昼に帰っていく日々でした。

夜中でもお客様の対応はありますから、ほとんど眠ることはできません。

優しく忍耐強い上司は、毎日4時間程度の睡眠で頑張っていたのです。

ホテルゆえに、ほぼ全てがお客様の都合で変わります。

お客様が早朝ゴルフに出発するとなれば、早く出勤してお見送りやチェックアウト。

お昼に観光バスが到着するとなれば、お昼休みも返上して、団体様の応対。

天候不良でチェックイン予定のお客様の到着が遅れていれば、夜10時でも11時でも、待っていました。

フロントは座ることができませんでしたから、毎日足が痛くて痛くてたまりませんでした。

それでも文句を言えなかったのは、上司はもっと大変だったと知っていたからでした。

部署によっては、うまく隠れて休憩するところもありました。

けれどフロントは隠れることはできません。

お昼休みなんて、平均したら、1日30分ぐらいです。

せめて座りたい。

足が痛くてたまらない。

毎日毎日、そればかり考えていました。

当然、このような早出残業続きでも、残業手当が払われることはありませんでした。基本給のみです。

部署による格差にうんざりし、退職を考えるようになった

繁忙期でもうまく隠れて休憩する部署は、支配人へのゴマすりも上手でした。

手柄はすべて自分のものにし、都合が悪くなると、私の上司のものとなりした。

それを見抜く力は支配人にはなかったのでしょう。

「辞めようかな」

いつだったか、上司がポツリとつぶやきました。

そのとき、私は初めて、「辞める」という選択肢があることに気付きました。

それから、つねに「会社を辞める」ということが頭の中から離れませんでした。

どんなに働いても割増賃金をもらえることもなく、基本給のみで働いて、報われない。

いっぽう、同じ会社なのに、うまくやっている部署は、支配人の前ではいかにも働いた、という顔をしておきながら、こっそり隠れてお菓子を食べながら休憩です。

これでは不満を抱かずにいられません。

上司は、もっと不満を抱いていたでしょう。

悪夢のような夏の繁忙期が終わって、胃潰瘍のため、入院してしまいました。

新入社員の私が足手まといになったのかもと、思ったこともありました。

それは事実でもあったと思います。

が、何ひとつ報われることのないこの会社に、はっきりとした不満を持つようになりました。

このころには、同期はすでに数人、辞めていました。

どんな思いで辞めて行ったのか、ゆっくり話すこともできないまま、想像するしかありません。

怪我をした同期もいました。

夜逃げのように出て行った同期もいました。

せめて法律で決った通りの残業時間だったら、いえ、せめて、残業手当という報われるものがあったら、どれだけ救われたでしょうか。

上司の健康が戻るのを待たずに、私は会社を辞めました。

繁忙期の私の1ヶ月の残業時間。約200時間以上。

辞めたことを後悔したことは、一度もありません。

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