診療情報管理士として資格も取得し熱意を持って仕事をしていた
熊本市西区にある病院で診療情報管理士という資格で勤務していました。
もともとは同病院に医療事務として入職しました、10年勤務した頃に院長より、診療情報管理士という資格を取ってみないかと薦めていただき、病院の補助で2年間通信教育で資格を取得しました。
この資格を使い、統計資料の作成、部屋の整備を行い、診療情報管理室を立ち上げ、診療録管理加算という診療報酬も取得し、病院に収入が入るようにしていきました。
診療録や医師の退院時サマリー等を基にICD、ICD9CMなどの国際コードにコーディングして分類表を作成したりなど、専門的な統計を作成していきました。
ですが残念なことに統計表を作成しても理解できる人がいないという世界でもあります。
院長は先進的に医療界をみておられたため、私の業種に早くから興味を持っておられ、学会にも参加させてもらい、参加後には感想を聞いてくださったりと、院内で唯一の理解者でした。
資格を取り、診療報酬を得て5~6年経った頃に、院長が80歳を超えたこともあり、名誉院長となり院内のことは弟の新院長に任されました。
新院長が就任して以降、仕事に理解を得られなくなってしまった
それから5~6年は辛い思いでばかりです。
新院長と言っても75歳を超えており、診療情報管理という最近の資格のことは何も知らず、嫌みばかり言われていました。
診療報酬を得ているため、保健所にも専用の個室で専任で勤務することで認可をもらっているわけですが、そういうルールもご存じなく、一人で個室で遊んでいるように言われたり、診療情報管理士となったことで偉そうにしていると思われていました。
「受付の手伝いをしなさい」「医事の手伝いをしなさい」、医師の退院時サマリーを基に登録、統計をするのが業務ですが、「医師サマリーを書きなさい」とまで思い出すたびに言われてきました。
資格を取り、診療録管理加算という報酬をもらえるように整備したことは前院長への恩返しもありました。
前院長だけが理解者でしたので、病院のことは口出しされないようにされていましたが、たまに弟である現院長に「サマリーは医師が書かないと意味がない」と言ってくださってました。
前院長のためにも他の業務もがんばりました。
病院のブログを開設し、週1回更新したり、近隣病院への挨拶まわり、接待、近隣の公民館への講話の手伝いなどもありましたが、楽しみながらやってきました。
院長がなくなりさらに仕事に対して風当たりが強くなっていった
ですが、退職の1年前に前院長が亡くなり、わたしの業務はさらに厳しい状況になりました。
現院長の長男が副院長となりましたが、その方も診療情報管理というものを不必要と考えられておられたので、加算もやめて、私を広報等の担当にされようとしました。
広報の担当が嫌ということはありませんでしたが、その時点で23年お世話になっている病院で、その加算をやめることで、急性期病院では当たり前のように取得しているDPCにも参加できないということが不安でした。
もちろん前院長も将来的にDPCへ移行されるお考えで、私にもDPCの資格も取らせてくださっていました。
広報もがんばるので、加算は継続させてくださいとお願いしました。
一旦了解され継続していました。
ですが、広報の他に、花の管理(ロビーの生け花3ケ所、院外、中庭の植栽も含め)、院内の掲示物の管理(絵画、患者さんが撮影した写真など)を毎日するように言われました。
毎日行いました。
次第にエスカレートし、近所の教会のバザーに手作り餃子を3000個出すので作りなさい、その同じ日に院長の自宅の庭に花苗を50苗植えるように指示されました。
餃子を作るので、花苗50苗を注文するまで行いますと院長夫人に伝えました。
その日に材料が足りずに餃子3000個できず、2日後にすることになりました。
2日後にも餃子を作っていると院長が来て、自宅の庭の花苗を長男である副院長の奥様が植えたとなぜ指示したことができないんだと怒り、「餃子を…」と言いかけたところで、「言い訳するな」と怒鳴られました。
それでも精一杯やったことだったので、次の日も堂々とお花の世話もしました。
11月だったのですが、パンジーを春までずっと咲かせなさいという指示もあったので、60苗程買って、病院の中庭に半分植え、半分は後輩の子が植えてくれました。
すると次の日に院長から電話があり「私が何を言いたいかわかるだろ、おまえは花を植えなかった、人にさせた、お前は担当からはずれろ」と大きな声で怒鳴り、「いえ、植えました。毎日お花のお世話を一所懸命やってま..」と言ったくらいで「聞いてないことを言うな、お前ははずれろ」と怒鳴りちらかされました。
その日、院長はわたし以外の事務系職員を集めて、お花の管理の話をされていました。
とても悲しかったのですが、本来の自分が専任で行っている本来の業務に関することではないので、毎日自分の業務に専念しました。
職場のトップに仕事の重要性を理解されず、諦めて退職
1週間位経って、院内の部署代表者が集まる会議がありました。
私は部屋の代表なので出席しました。
その席で院長がいきなり「診療録管理加算をやめなさい」と言ってきました。
明らかに私が嫌がることを言ってるといった表情でした。
私が嫌がるというより、病院にとっての将来性に関することで、困るのは院長ということも頭にない感じでした。
あまりに幼稚な様子に、10年も継続してきたことがばからしく思え、「はい、そうされたほうがいいと思います」と即答しました。
私が普通にそう答えたので、少し拍子抜けした表情をされていました。
その会議があった日に、退職を申し出ました。
私の仕事はカルテの製本、管理も行っていましたので、毎日カルテの山を片付けないといけません。
加算をやめても同じ状況です。
誰もが好んでする仕事でもなく、別の担当の方が片手間にすることもできません。
統計等専門的なことはわからない院長も、カルテ管理ができないと診療上困る様子で、「加算をやめても今のままの業務はしていいんだよ」といいはじめました。
慌てた表情をみて気分がよかったです。
結局その2ケ月後には退職しました。
職場に1人しかいない職種は、気楽なことも多いですが、相談相手、理解者を作るのは大変です。
2年勉強して資格をとって、部屋も立ち上げたので、愛着もありますし、病院にとって大事な業務と誇りもありました。
ですが、職場のトップに理解されていないので仕方ないです。
やめて後悔はありません。
別の経営者の元でがんばりたいと思います。
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