私立大学は福利厚生の整った理想的な職場!退職したのは子供との時間のため

みんなの退職体験談

もっと子供のそばに居てあげたい!ワークライフバランスというものに疲れた

私は大学卒業以来、私立大学の職員として17年間働いていました。

福利厚生も良く、有給も非常にとりやすかったため、子どものいる私にとっては楽園のような職場。

産休・育休もしっかりととり、駅から近い保育園に子どもを預け、楽しく働いていました。

でも、子どもが保育園の年長になった頃から、何だか疲れてきてしまったんです。

そう、「ワークライフバランス」というものに。

実は私の子どもには食物アレルギーがあり、保育園での食事にも細心の注意を払っていただいていました。

今にして思えば、アレルギーっ子なのだから、出産後は仕事を辞めて家で育てればよかったのですが、なぜか当時はそんなことが思い浮かばなかったんですね。

「子どもにアレルギーがあっても、仕事と家庭を両立させている私」というものに酔っていたのだと思います。

私が仕事を辞めても生活には困らなかったのに、と後悔しています。

今、そんなことを考えても栓のないことですけどね。

周囲の方のご理解・ご協力もあり、気がつけば子どもはもうすぐ小学生。

学童保育の予約もとりつけ、まだまだバリバリ働くぞと思っていたのですが、なぜか仕事の気力がわかない。なぜか仕事中、他のことを考えている。

そしてミスも出る。

そんなことが続いた時に、私の頭の中にはこんな声が響くようになってきました。

「もしかして私、子どものそばについてやりたいと思ってる?」

「子育てと仕事を両立させている自分というものにウットリしているだけで、本当は苦しいんじゃない?」

そしてどんどん「仕事をやめる」という方向に、私の心は舵を切っていきました。

退職を考えていたある日、背中を押す出来事が起きた

子どもが小学校にあがる2ヶ月ほど前、1月も末の頃でしょうか。

「仕事をやめたいな」と悶々としていた頃、事件は起こりました。

私は、ちょっとおやつを買うために職場の売店に向かいました。

売店は私の部署とは違うビルに入っているので、一度外に出なくてはなりません。

私は「パパッと買って、すぐに席に戻ろう」と、売店のあるビルに走って行きました。

するとそこに突風が!

風が吹いた瞬間、ビルの自動ドアの前の玄関マットがめくれあがり、私はそれにつまずいてしまいました。

その瞬間はまるでスローモーション。

転んだと同時に自動ドアが開けば、私はドアに顔を打ちつけずにすむ。だから大丈夫・・・とゆっくりと転びながら思ったのですが、残念ながらドアは開かず。

私はアクリルの自動ドアに、顔面を強打しまったのです。

その様子を見ていた受付の人と、そこに居合わせた男性職員の方が大慌てで、私のもとに飛んできました。

「ちょっ・・・! 大丈夫ですか?」「お医者さん、呼びましょうか?」

私は呆然としましたが、ドアが割れるようなことはなかったため、どうやら流血などはなさそう。

片方の頬がボワーンボワーンと痛みましたが、特に問題なさそうだったので、お礼を言ってその場を去ることにしました。

ただ、そこに居合わせた男性職員の方が非常に親身になってくれ、「この玄関マットは危ない。どけよう。総務部にもどけるように言ってくる」と真剣な顔で言ってくださいました。

そしてすぐに玄関マットをどけてくださいました。

(※それから間もなく、ある銀行で女性が玄関マットのせいでケガをし、訴訟を起こす事案が報道されました。玄関マット、実は危ない存在みたいですよ。)

ところが、話はまだ終わりではないのです。

帰宅時、私は売店の入ったビルの脇を通ります。

その日も終業後、私はそのビルの横を通りました。

そこで見たのは、私にとってショッキングなものでした。

玄関マットが、再度敷かれていたのです。

それを見た瞬間、私は仕事を決心しました。

「こんな職場、やめよう」と。

私が勝手に転んだだけなので、こんなことを言うのはわがままで横暴なのかもしれません。

でも、結局、職員1人の命なんてどうでもいいんだ。私が痛い目に遭おうが、極端な話、死んでしまおうが、この職場にとっては本当にどうでもいいんだ。

そう、瞬間的に悟ってしまったんです。

その夜、私は夫に告げました。

「私、明日、●●さん(直属の上司)に『退職する』って言うわ」

上司に退職の意志を伝え、退職の手続きを進めた

次の日、私は上司をそっと呼び出し、小さな会議室に行きました。

そして「3月いっぱいで、退職させていただきたい」と告げました。

上司はとても人柄の良い人だったので、退職の旨を告げるのは非常に心苦しかったです。

直属の部下の退職は、上司の評価にも響くでしょうし。

でも、もう「退職」に大きく傾いた私の心は止められませんでした。

かなり慰留もされました。

「アウトソーシングの契約にして、週3日ぐらい来られませんか?」

「メールのやりとりで仕事を任せられませんか?」

そのように説得されましたが、もはや仕事に対する情熱も失ってしまった私はお断りさせていただきました。

上司は「そっかぁ~」と嘆息した後、パンッと膝を打って人事部の手続きに動いてくださいました。

なるべく詳しく退職の理由を書き(さすがに強風で顔面を強打したから、とは書きませんでしたが)、健康保険、年金等々さまざまな手続きをし、滞りなく3月末で退職へ。

私がやめるなど夢にも思わず、「お子さんの学童、決めた?」などと朗らかに聞いてきた方などは、私の退職に相当驚いていました。

退職から3年。続ければよかったかと思うこともあるけど辞めてよかった

現在、仕事をやめて3年。

時々「仕事を続ければよかったかな?」と思うこともありますが、子どもの習い事に付き添ったり、安心して友だちとの遊びに送り出すことができるので、「やめてよかった」と思っています。

なかには「子どもが大きくなってから仕事をやめるなんて、もったいない」とおっしゃる方もいらっしゃいますが、現実は意外と逆。

学校に通うようになると、保育園の頃よりも圧倒的に親のフォローが必要になってくるので、子どもが大きくなってから、いや、なったから、仕事を辞める人も多いです。

まあ、単純に「疲れた」というのもあるんですけどね。

共働きが普通の昨今、お子さんを抱えて仕事を続けている方もたくさんいらっしゃることと思います。

そしてふと、「私、疲れてる?」と思うことも多いことでしょう。

そんな時に、私のこの退職体験談が少しでもお役に立てば幸いです。

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