50代で一念発起!システム機器販売の会社を退職して個人事業主に転職!

転職を成功させる方法

会社の規模が拡大したことが悪い方向へと向かい人間不信になり退職した

私は北海道札幌市在住の56歳男性です。

私は50歳の時に一念発起をして30年間勤務した会社を退職しました。

理由は、組織のしがらみの中にいるうちに人間不信になってしまったことです。

原因の一つとして、会社が大きくなり過ぎてしまったことが挙げられます。

私が入社した30年前は本社が北海道札幌市にあり、社員数が250人の小規模な会社でした。

メーカー直系のシステム機器の販売会社でしたので、課長職以上はメーカーからの出向社員でした。

そんな会社の仕組みなどは分からずに、会社の社名にメーカー名が入っていたことだけで就職をしました。

20代~30代半ばの頃は、「プロパーの社員はいくら頑張っても課長職止まりだ」と先輩から教えられていたのと、何年間か仕事をしていると実感としても分かりました。

その頃は、メーカーからの出向社員とプローパー社員との待遇の格差の不満を酒の肴にして飲んでいました。

ところが社会情勢の変化に伴って、会社も少しづつ変化をしていくようになってきました。

40歳になった頃から、メーカーの出向社員が社長と数名の部長だけになり、他は全てプロパーの社員へと体制が変わってきました。

管理職の中にもプロパー社員からの部長が何名も出てきだしました。

入社当時とは会社の体制も変わり、有給休暇なんて形式上あっただけで使える環境に無かったのが、上層部から積極的に消化するように指導が入り、サービス残業が当たり前でセブンイレブン出勤(午前7時出社、午後11時帰り)だったのが、遅くても18時には帰宅するように福利厚生も大きく変わりました。

そして社員数も入社当時の倍である500名へと増えていました。

決して給料は高くはありませんでしたが、社員同士の結びつきが強くて、その証拠に退職者の人数もとても少なかったと思います。

メーカーの業績不振が系列会社に直撃!人員削減へと向かってしまった

7年前までは社員満足度もとても高い会社でした。

ところが円安の影響もあって、海外でのメーカーの業績が一気に落ち込んでしまったことで、その反動が国内の系列会社に来ました。

国内の業績は決して悪くはなかったのですが、海外での赤字を国内の売り上げでカバーしようという方針になり、経費を切り詰めるために、それまで数十社あった国内の系列会社を合併して1社にしたのです。

社員数はそれまでの500人から一気に35,000人の大所帯になってしまったのです。

そうなると新たな問題が生じてきます。

そうです、それに伴って大勢の余剰人員が出るために、メーカーは創業以来初めて人員削減に手を付けたのです。

過去にも業績が苦しい時代がありましたが、その時は本業以外の設備や不動産を売却するなどして凌いで、決して人を切るようなことはしませんでした。

創業者から歴代の経営陣達も、「人に優しい会社」と胸を張って言ってきました。

そういう経営方針からさらなる飛躍をしてきました。

ところが、その経営の本幹ともいえる部分の重い扉を開けてしまったのです。

卑劣なリストラが始まり、人間不信に!優秀な人は自ら辞めていった

会社は退職金の上乗せを条件に、早期退職者を募るのと並行してリストラを開始しました。

リストラは、テレビドラマの世界で見ていた卑劣なやり方と同じでした。

私の周りでも、つい最近まで一緒に仕事をしていた先輩や同僚、そして後輩達が次々と別室に呼ばれ、内密に辞めなければならない方向へ仕向けられていました。

後で退職した先輩から聞いた話では、辞める時までは周りの社員には一切漏らしてはならないときつく口止めをされていたそうです。

そんなやり方をしているのですから、社員の間では「明日は我が身」という言葉が脳裏をよぎるようになってきます。

それは、若手もベテランも関係ありません。

まして部長クラスの人達も同じことが言えたのです。

いきなり海を渡って、北海道以外の遠い九州や全く職種の違う工場等への転勤も頻繁に起きていました。

転勤になると定年まで地元の北海道に戻れる保証はありません。

早い話、転勤が嫌なら辞めて下さいということです。

リストラは第3弾までありましたが、第1弾の対象者の特徴として、独身(男女とも)、既婚も子供がいない、総務やスタッフ系の職種をターゲットにしていたようです。

そんな状態ですから、仕事にも集中できなくなってしまいます。

まして退職して社員が減って行くことで、人が少なくなってしまうので、それまで他の人がやっていた仕事やらなければならず、残っている社員の負担が増えることになります。

しかしどんなに忙しくなっても残業はNGなのです。

仕事で相談をしたい部長さん達も、忙しくなったのと、会社が大きくなって組織が変わったことで、社内の決済ルールなども複雑になっていて、自分のことで精いっぱいになっていて、部下の相談など乗っていられない人ばかりになっていました。

自分がリストラの対象にならないように、余計なことにはかかわらないで、誰でも出来るようなことしかしなくなっていました。

そんな社内の空気が蔓延して、あんなに楽しかった会社が、嫌な会社に変貌していました。

痺れを切らして優秀な社員までも、自分から手を挙げて辞めて行くようになっていました。

そんな中、何とかやっていたのですが、ある時に上司のミスを責任転嫁されて、責任を取らされる羽目になったことをきっかけに退職をすることにしました。

現在は、組織に揉まれないで仕事ができる個人事業主で仕事をしています。

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