厳しい調理師の世界に見習いとして入社
私の以前の職業は調理師でした。
地元から山の上にある古いホテルで調理師の専門学校を卒業して19歳の時で就職、そこが初の職場でした。
調理師と言っても学校でたばかりの若造は当然ながら雑用が主な仕事です。
調理器具の洗浄、片付け、洗剤、油、調味料の補充、洗濯などばかりで食材はおろか包丁を使った仕事などほとんどありませんでした。
覚悟の上で入った職種でしたが自分がしていることは「雑用で仕事ではない」と先輩から言われるなど、体力面だけでなく、精神的にも辛いものが多くありました。
また、一日中洗剤を使い、お湯を使っての洗い物ですから手はボロボロ、大きな鍋などは床に置いて洗うためその際に靴の中にお湯が入り、入社して半年で水虫になりました。
そんな職場ですから、もちろん仕事も朝早くから夜遅くまでと長く、また、休みもほとんどありませんでした。
たまの休みも先輩が遊びに行くために車で送り迎えをさせられたりと休みも会ってないようなもので、そのくせ、給料明細には月8回以上の休暇を取得していることになっているのです。
当然残業代はつくこともありません。
しかし、料理を作ることは好きでしたし、最初の就職先で3年も我慢できずに辞めてしまうならどこに行っても続かないと自分に言い聞かせながら働きました。
幸いにも、先輩全員がものすごく厳しいわけでもありませんでしたし、できる料理が増えていくのはなによりの喜びでした。
経営が苦しくなりはじめ、チケット販売のノルマが課せられるように
月日は流れて5年ほどたったときくらいからでしょうか、会社自体の経営が苦しいのかだんだんとおかしなことをし始めました。
まず、年に何回かビアガーデンや、ステーキフェアなどのイベントを行うのですが、このチケット販売のノルマを私たち従業員に課してきたのです。
ノルマというより押し付けで1枚5000円のチケットを一人5枚売れなければ給料から勝手に天引きされているのです。
そして、苦労して自分が売った先の顧客情報を会社が集めて次回からはその顧客に営業の人間がチケットを販売、しかも、顧客情報を紹介した人の名前を使い営業するものですから向こうもなるほどじゃあ、とチケットを再び購入という、営業の人間がどんどん自分のノルマのためだけにチケットを売るので一般の私たちがチケットを購入してくれるようにお願いしに行ったときには、「君の紹介できた営業の人からもう購入したよ」となります。
他にもおかしなところがあります。
入社した最初の年は有休を一日1000円位で買取りをしてくれたのですが、しばらくするとそれがなくなり、何故かいつの間にか有休を取得していることになっているのです。
だんだんと会社がおかしくなり始めたころホテルからゴルフ場へと転勤となりました。
会社に不信感を抱き始めていたのですが、まだ修行中の身中途半端に他所に移るのが嫌だったので、ちょうどいい機会だと転勤の辞令を受けることにしました。
強固な年功序列制度で一切出世できず、調理師の仕事ができない
就職して10年がたち職場の中でも中堅の位置立っていてもおかしくないくらいだったのですが、上に上がることはまったくできませんでした。
理由としてはまず、後輩がことごとく辞めてしまうため私より下がいないこと、上の空きができても中途採用の人が来てその空いたポジションに入ってしまうことがその理由です。
調理師の世界は腕があれば上に行けると思われるかもしれませんが、生憎とうちの会社は超がつくほどの年功序列制度、しかも、中途採用の人間は調理場で一番のトップが連れてくる人間ばかりなので下の仕事である雑用などやりません。
年数を積み重ねて覚えた仕事をこなしつつ、下の人間がいないので変わらず続く雑用仕事。
自分の中で何かが擦り減っていく感じがしました。
ちょうどその頃、同じ職場でウェイトレスをしていた彼女と結婚をしたのですが、そのとき彼女から言われたのが、「あんたはこの会社に洗脳されてる」
何を言っているのか分かりませんでした。
彼女曰く「ここまでひどい目にあって辞めたくならないのが洗脳されている証拠」と言われてみると酷いとは思いながらも、働けて有難いとか、ボーナスを貰えるだけ有難いとは感じていましたし、辞めようとは思ってはいなかったのです。
ただし、本当にそのことに気づくのはそこからさらに5年後でした。
唯一休めていた週一回の定休日がなくなり、退職を決めた
妻と間にも二人の子供ができ、相変わらず休みすくない日々でしたが再び転勤の辞令がおりました。
今度の転勤先は定休日があるゴルフ場で少なくとも月に4回は休みが取れると考え、その辞令を受けて転勤しました。
取り巻く環境は変わらずに相変わらずの下っ端仕事+積み重ねた経験分の仕事
ただ、やはり定休日があるのは有難く仕事を続けていました。
ところがある日突然、調理場のトップが社長と衝突して変わってしまったのです。
次に調理場のトップに就いたのは社長が直々に東京から連れてきた人で、当然、調理場全体に人事の風が吹き荒れます。
今までいた各部署の料理長は軒並み降格、新しい料理長が就任、当然変わる仕事のやり方。
そして、ついには私のいた職場の定休日すらなくしました。
流石にこれにはついていけず、私は職を辞し、そのまま、調理師としての仕事も辞めることにしました。
今は警備業に携わる仕事で調理とはまったく無縁の仕事をしています。
現在の就職先になってから3年程経過しますが、今になってようやくあの時の妻の言葉が少し分かる気がしています。
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