大学進学を諦め、高校卒業後は目的のないまま地元の銀行に就職
地方の都市から車で約1時間弱にある実家で高校を卒業後、地元の銀行に就職しました。
できれば周りの友人たちのように大学へ進学したかったのですが、実家の自営業の経営があまり思わしくなかったため、高校を卒業してすぐに働くことにしたのです。
当時は大学進学について父とも話し合ったのですが、何せこれと言った将来の目的もない状態ですし、父も私が実家を出て大学に進学することにはあまり賛成ではなかったようなので、アルバイトすら経験もせずにいきなり銀行員として働くことになったのです。
研修後は窓口業務に配属。失敗ばかりの毎日で仕事に追われていた
入社後の研修は地方都市で1ヶ月ほどかけて行いました。
業務内容についてはもちろんですが、他にも言葉遣い、発声、挨拶の仕方、接客の対応や電話応対、お茶の出し方まで事細かに研修を受けました。
なんと言ってもこれまでバイトや化粧もしたこともないような子供が、急に大人の世界に放り込まれるようなものですから、何をやってもダメ出しばかり受けていました。
その後、研修を終えて地元の銀行窓口に配属されました。
実習生札をつけて先輩に指導されながら、毎日があっと言う間に過ぎていきました。
銀行窓口は午後3時に終了しますが、そこからが恐怖の集計が待っています。
当たり前ですが1円合わなくても、夜遅くまで帰ることはできません。
しかし当時まだ仕事に対する意識が低かった自分にとっては、それが地獄のように感じていたのです。
とにかく毎日失敗の連続で、仕事を覚えることに追われながら過ぎていったように思います。
新人を指導する立場になって気付いた自分の仕事に対する意欲の低さ
3年ほど経った頃、私も新人の指導をするようになり、その時担当になった後輩が「どうして銀行で働こうと思ったんですか?」と質問してきました。
別に銀行が好きだったわけでもないし返事に困っていると、その後輩は「自分は銀行でバリバリ働きたいんです」と言いました。
母親の女手ひとつで育てられたそうで、お母さん孝行するためにも安定した職場で長く働きたかったそうなのです。
指導していても自分の新入社員の時とは全然違い、仕事を覚えようとする意識の高さを強く感じました。
失敗して怒られてもめげないですし、なんと言っても楽しそうに仕事をしていました。
実際に「銀行の仕事好き?」と聞くと「やりがいを感じる」言っていました。
この頃から、自分はこれまで仕事にやりがいなんて感じたことがあっただろうか?自分のやりたいことって何なんだろう?とよく考えるようになったのです。
そして自分の仕事に対する気持ちは「やりたい」ではなく「やらせられている」という意識の方が断然強いことに気が付いたのです。
何をしたいのか分からないまま、5年勤めた銀行を退職することを決意
そうなるともう仕事が嫌で嫌で仕方なくなってきてしまいました。
ある日父に「仕事を辞めたい」と話しました。
入社して3年目、怒られる覚悟でしたが「5年がんばってみて、それでもどうしても嫌なら辞めなさい、それまでに無駄遣いしないでできるだけお金を貯めなさい」と言われました。
私が毎日何の張り合いも無く過ごしていることを父は感じていたのかもしれません。
そして5年目にまた「やっぱりこの仕事が好きになれない、でも他に何をしたいのかもわからない」と正直に話しました。
すると父が「じゃあ、辞めてアルバイトでも何でもいいから、とにかく色々なことを経験してみなさい」と言ってくれました。
そして後のことは何も決めない状態で、5年間勤めた銀行を退職したのです。
銀行を退職後セレクトショップを営む叔母のお店を手伝うことに
私は本当に恵まれていると感謝しました。
実家暮らしですから、仕事を辞めたところですぐに生活に窮することはありませんし、それを両親が許してくれているです。
取りあえずは退職金も頂き、職安で失業手当をもらうこともできます。
そんな時、遠く離れた地で暮らしている父の妹、叔母さんのところにしばらく行く事になりました。
叔母さんは、今でいうとセレクトショップみたいなお店をひとりでやっていました。
海外に買い付けに行くとのことで、その間お店の留守番をすることになったのです。
3日間ほど要領を説明してもらい、あとはひとりで店番をしなければなりません。
叔母さんは「何かあったらすぐに電話くれていいからね」と言ってくれましたが、日本との時差を考えるとちょっと気が引けます。
朝はちょっと遅めの11時にオープンすると、1時間以上誰も来ない日もありました。
それでも来店してくれるお客様と話をしながら一緒に商品を選んだり、驚くほどに立ち入ったプライベートな話をしてくれる方がいたり、ちょっとクレーマーっぽい方がいたりと、それでも多くの寛大なお客様のおかげで何とか無事に1ヶ月の店番を果たすことができました。
叔母の店の手伝いをしたことで、再就職先として販売職を選ぶことにした
1ヶ月ひとりで店番をしたことが、何となく少し自分の自信になったように感じました。
それから実家に戻って再就職先を探す時に、迷うことなく販売の仕事を選びました。
叔母さんのお店での経験で、販売業の楽しみを知ったのです。
選んだ就職先は、当時地方都市の百貨店に新規参入する海外ファッションブランドでした。
販売未経験でしたが合格することができ、東京で実習も兼ねた研修を約3ヶ月ほど行いました。
そこでは商品はもちろんのこと、ブランドスピリッツなるものを徹底的に叩き込まれます。
その後、都内のブティックや百貨店などで実習生として経験を積むのです。
ブティック、百貨店ともに初出勤の日はとても緊張しました。
まわりの先輩から「緊張しすぎ」と笑われながら、たくさん失敗もしながらも、長いと思われていた3ヶ月はあっと言う間に過ぎていきました。
そしてその間、緊張しながらもとても充実した楽しい時間を過ごすことができたのです。
辛かった銀行時代の経験も生かせた!販売の仕事にやりがいを感じている
配属された地方都市の百貨店側の研修も済ませて、いよいよオーブンの日がやってきました。
初日ということもあり、開店前から多くのお客様が並んでくれました。
みんな休憩も取る暇もないほどの大盛況で、無事に初日を終えることができました。
自宅に帰ってその日のことを両親に話して、自分でも驚くほどに興奮していました。
ファッション関連の仕事の楽しみのひとつは、季節毎に変わる商品をいち早く手して見られることです。
自分には手が届かないような価格帯のものでも、仕事として触れることができるのですから貴重な経験です。
難しいお客様に遭遇することや、クレーム天国のこのご時勢なので、落ち込む出来事もたくさんありますが、それでも嫌なことの何倍も楽しいことがたくさんあります。
銀行時代は毎日当たり前にしていた札束の数え方も、スタッフみんなからは「素晴らしい!」と賞賛してもらえて驚きです。
あんなに辛かった集計業務の経験も大きく役立っていて、何かと頼りにされる部分にもやりがいを感じています。
勤務して3年目には海外研修があり約4ヶ月間、パリの本店で働く機会を得ることができました。
この仕事を選んで本当に様々な経験をさせてもらっています。
接客の仕事は前向きに働ける!就職してから良い方向に変わった!
現在の仕事に就いてから母からは何度も「変わったね」と言われました。
そして必ず「良かったね」と言ってくれます。
販売の仕事に就いて自分でも変わったな、と感じる部分は以前よりも前向きに考えるようになったことです。
次から次へと接客が続くので、嫌なことを引きずっている暇がないのです。
それが自分にとってはとても有効に働いていると思えます。
父は多くは語りませんが、ずっと見守ってくれていたと感じています。
今の自分があるのは、父が叔母さんの所へ行くようにと導いてくれたおかげだと本当に感謝しています。
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