どんなに仕事をしても全く評価されない!大企業の造船業の事務社員を退職

会社辞めたいと思った体験談

新卒で入社したのは造船業を営む大企業の事務社員だった

高等専門学校を卒業後、いわゆる団塊の世代と呼ばれる人達が丁度定年を迎えたその翌年の事、新卒で地元では知らない人はいないくらいの大企業に事務社員として就職する事ができました。

学校では劣等生で、成績も悪く、さらにはコミュニケーションが苦手と就職すら怪しい私がそんな大企業に就職できるなんて運が良かったとしか言い様がないくらいです。

その企業は造船業を営んでいましたが、私が就職したのはパソコンの管理をする部署でした。

元々、パソコンと言う物が普及し始めて少し経過した頃でしたので、中学から高校へ行く際の動機も「パソコンを学んでおけばどんな企業でも就職口くらいあるだろう」と思っての事もありましたし、この就職も中学時代の読みが正しかったとも言える結果ではありました。

実際仕事を始めてみると事務社員としての仕事はあまりなく、月々の請求書の支払い処理や来客時のお茶出しもあまりないような部署でした。

そんな訳で男性の業務手伝いも私の仕事の内に入ってきていましたし、上司からその様に言われたし、何より私は新卒なのでそう言うものだとどこか割り切っていたと思います。

造船業だからPC管理に理解がない!部署によって待遇を変える会社

地元では有名な大企業ですがその中には部署毎の優劣がありました。

まず設計部署、次に経理などの管理部、造船を手がける現場、その他の関連企業と言う具合に細かく区切ると部署毎に社長からの信頼の度合いのようなものが見受けられました。

その中で私の勤める部署はもはや目の上のたんこぶと言われんばかりの冷遇を受けていました。

パソコン管理部署を潰すと言う話も出ていたくらいです。

そもそも、パソコン管理部署を設置する前にパソコンを導入しているような企業なのです。

パソコン管理・運用と言うものが全然分かっていませんでした。

大体、全社パソコン二千台ああろうかと言うにも関わらず、実際それらを管理する人間はたったの三人なのです。

当然、ミスは出るしパソコンの一斉代替なんて言われても「はい、そうですか」で出来る訳がないのです。

退職の意思を伝えても有耶無耶にされ、さらに心を病んでしまった

そんな会社の中で五年過ごしました。

そもそも劣等生である私に再就職なんて出来ないと思っていた事もありましたし、それに親からも散々「甘やかしすぎた、わがままな子」だと言われていたので、度々辞めたいと思う事も甘えだと自らを叱咤してそこまで頑張ってきました。

しかし、年月が経つにつれ、上司も数回変わり、ミスをする男性社員が表面上の責任を持ち、ミスの少ない事務社員である私は表立って責任は問われなくても最終的なチェックなどを任されていた訳ですから、ミスはつまり私のチェック漏れと言う事でもあり、つまり内面的な責任は私が負っている状態になっていました。

気が付くと事務社員と言うより男性社員と同等の立場としての振る舞いを求められていました。

そんな会社での立ち位置と社長の部署に対する冷遇とで段々と精神的に参ってしまった私は退職を申し出ましたが、当時自分でも分からなかったのですが鬱になってしまっていたようで、明確な理由が言えず、ただただ辞めたくて仕方がないと言う漠然とした思いしかなかったのです。

そのまま退職が有耶無耶にされ続け八ヶ月が経過した頃、その日、パソコン設定の仕事に追われ、後回しにしていた請求書の処理が遅れてしまい、帰る前に処理してくれと言われました。

その時、無償に腹が立ってしまって、処理を終えた後、帰宅する間際思ったのです。

「男性社員の仕事を私は肩代わりするけれど、男性社員は私の業務なんて誰もやってくれないんだ」と気付いた瞬間、自分の中で何かが切れたように思います。

次の日は土曜日でしたが、その日の内に十四日間有給を取得する旨をメールで上司に送り、退職願いを郵送で会社に送付しました。

社会人としてどうなんだろうとも思いましたが、もうそうでもしないとあの会社から逃れられないような気がしたのです。

今になって思い返してみれば、上司が退職を止めるのは当然の事で、それが上司としての義務であった事を知り、自分の体調がおかしかった事も含めてもう少し別のやり方があったのではないかと思うばかりです。

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