新卒で商品取引の仕事に絞って就職活動をし、無事に就職に成功した
今から18年位前の話ですが、私は新卒である投資関連の業界に就職しました。
当時は就職氷河期と呼ばれた時期で、大卒でもなかなか良い就職先が見つからず、大手企業も採用を抑制するような時代だったと記憶しています。
当時大学生だった私は、特に目指す職業や業界を決められず、ただ漠然と就職活動に乗り出していました。
インターネットがまだ普及し始めの頃で、パソコンとネット環境は家にありましたが、ネットで探すというよりも、まだまだ紙媒体が主力の頃で、企業案内や就職セミナーの分厚い資料を取り寄せたり、大学の就職支援化に通ったりと、気乗りしないまま周囲に流されていました。
世の中が不況で重苦しく、自分自身も何事に対しても自信が持てず、目指す方向を見つられずにいた時、企業案内の冊子である業界の存在を知ったのです。
その業界は商品先物取引という穀物や工業品の取引を行う業界です。
簡単に言うと株式投資などと同じで、リスクのある投資を個人に勧めるのが主な業務内容です。
この業界は日本国内に100社近くの企業が存在しており、アメリカでは銀行や証券と肩を並べる地位にあり、商品取引の市場はグローバル規模で盛んで、世の中に無くてはならない存在だ、みたいなフレーズが常套句です。
当時は所謂一般的な業界が不況で苦しむ中、消費者金融やパチンコそしてこの商品取引業界といった、どちらかというとイメージがあまり良くない業界が採用を拡大し元気のある時期でした。
商品取引業界に興味を引かれた私は、インターネットの掲示板等で業界の事情を調べ始め、書き込みを見ていくと、この業界はものすごくイメージが悪く、騙されたとか詐欺だとか言った書き込みばかりが目立ち、まさに悪そのもののようでした。
普通であればこの辺りで方向転換し、他の業界を調べたりとかするのでしょうが、当時の私は怖いもの見たさが勝ってしまい、商品取引業界一本で就職活動を始めたのです。
この時点で友人や親、学校の先生等には一切相談することなく、各社のセミナーへ足を運んでいきました。
結局100社以上ある中から、10数社に絞り込み、セミナー参加や面接を受け続け、とある一社に入社を決めたのです。
その会社は業界の中でも革新的で、業界内で一番最初に金融取引に参入したり、証券業の免許取得を成し遂げた会社でした。
高い離職率の業界でとりあえず3年頑張ることにし必死に営業を続けた
新人研修を終え、いよいよ各支店に配属になります。
業務は個人顧客に対する先物取引の勧誘営業で、朝から晩まで電話をしまくり、ひたすらアポイントを取る仕事でした。
入社当時新卒社員は50名ほどいましたが、3年後には一桁になるほど離職率の高い会社(業界)でした。
朝7:30から夜22:00過ぎまで当たり前のように働き、土曜日もほぼ出勤という、今考えるとゾッとするような仕事でしたが、若かった当時の私は”とりあえず3年はやろう”という意味不明な強い意思で激動の日々を送っていました。
トータル3年と1ヵ月在籍していましたが、正直最初の1年は1件も新規契約が取れず、毎日毎日支店長やその上の部長に怒鳴り散らされながら、朝から晩まで営業の電話をかけていました。
初めて取れた契約は、今でも忘れられません、初めて電話してからほぼ1年間毎日のように電話をし(殆どが留守でしたが)やっとの思いでとれた契約です。
そのお客さんは商店街の文房具屋の社長さんで、やや投資狂いのある感じの方でした。
2年目の途中で別の支店に異動になり、その年の新卒社員たちと一緒の課で営業活動を始めました。
できる奴は違いますね、一部のできる後輩達奴はあっという間新規契約を取ってきて、契約が取れずにやはりこの年の新卒たちもどんどん辞めていきました。
ちょうどこの頃、今では当たり前になった消費者保護の法律なんかができて、個人向けにしつこく営業を行う業界にとってはまさに逆風が吹く状況になってきたのです。
相変わらず営業活動は厳しく世知辛く、電話をすれば即切りされ、営業で押しかければ嫌な顔をされるで、ほぼ麻痺していましたが、精神的にけっこうやばかったな~と今更ながらに思います。
毎日怒鳴り散らされるのが日課になると、人間というのは自己防衛本能が働き、耳から入って心臓には向かわず、反対側の耳から抜けていくようになるんです。
上司の助けを借りながら、細々と新規契約を取りつつ3年目になる頃には主任に昇格しました。
主任になると新規契約はもちろんのこと、後輩のアポイントに同行して契約を取ってくるといった業務に加え、お客さんから注文を取ってディーリングルームに流すといった仕事もこなすようになってくるのです。
会社の状況が悪化していく中、自分の精神状態も限界を迎え衝動的に退職
丁度この頃です、会社の中の状況がだんだんおかしくなってきたのです。
まず、他の支店で支店長と課長その配下の社員がこぞって他社へ移ってしまい、朝管理課の社員が出勤してきたら誰もいない、みたいな現象が起きます。
所謂バックレというやつです。
人がいなくなってしまったので、当時私がいた都内の支店から一部の課がその支店に引っ越すことになり、一つ課が抜けて支店内がなんかガラガラになり、なんとなく殺伐とし、雰囲気も沈んでいきました。
そんな矢先、隣の課の課長(他社から転職してきた人で妙にプライドが高い)が部下が契約締結で得た営業給(歩合給)で風俗の支払いをさせていた、という事実が発覚し、当時の支店長(兼部長)が激怒し、支店内で殴り合いを始める騒ぎに。。
その支店は1階でガラス張りだったので、外からおもいっきり丸見えでした!
徐々に支店内の雰囲気が悪くなり、業績の悪化もあって、結局その部長は地方に飛ばされ閑職に着き、他社へ去って行きました。
残された支店には、関西や九州から新しい支店長やら課長やらがドカドカとやってきて、益々ギスギスした雰囲気になっていきました。
そんな中、私を含め後輩や先輩など殆どの社員はなかなか業績をあげられず、混沌とした日々を送っていました。
この頃調度当時付き合っていた人との間に子供でき、結婚することになったのです。
精神的にもかなり限界に来ていた時期です、業績をあげられない私を含めた主任連中が、更に別の支店に集められ執行役員の配下の元、激を飛ばされながらひたすら営業活動をすることになったのです。
数日を経過したある日、突発的に朝執行役員の部屋を訪れ、会社を辞めたい旨を申し出ました。
今考えるとなぜそうしたのかもわからないほどの精神状態だったのでしょう。
特に怒られるでも、引き止められるでもなく、退職の手続きを済ませ、その日のうちにかつていた支店を後にしました。
けっこうあっけなかったですね。
会社をやめてから数日間は張り詰めた糸が切れた状態で、毎日ボーっとしていたのを覚えています。
ただ、当時同姓していた婚約者には会社を辞めたことをどうしても言えず、出勤する振りはしていました。
そのため、入籍して結婚式を挙げた頃はぶっちゃけ、無職でした。
それでも、一ヶ月ほど働いているふりをして、その後無事に別の会社に転職できました。
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